大学案内
沿革
大学の歩み
開塾
1922年(大正11年)4月15日、二階堂体操塾は東京府荏原郡代々幡町代々木425番地(現在の小田急線参宮橋駅の近く)に開塾した。全寮制の塾の内部は、質素なものであったが、時代は女子の専門教育、職業進出への要求が社会の中に高まってきているときでもあり、多くの志願者があった。
創立の翌年1923年(大正12年)9月、関東地方は大震災に見舞われ、塾の建物は使用に耐えなくなり、1924年(大正13年)1月、東京府下松沢村松原717番地(現在の附属二階堂高校・附属みどり幼稚園の場所)に移転した。
専門学校への昇格
1926年(大正15年)財団法人日本女子体育専門学校が設立され、同年二階堂体操塾は日本最初の体育専門学校となり、新進気鋭の女子体操教師を養成、教育界に送り出した。
短期大学の誕生
1950年(昭和25年)学校法人二階堂学園が設立され、同年体育科と保育科を持つ日本女子体育短期大学が誕生した。校舎は空襲の被害は受けなかったが、すでに老朽化が進んでおり、改造・新築のため、資金募集、ダンス地方巡回公演等、諸々の努力がなされた結果、施設の充実が図られた。
四年制大学の設置とその後
1965年(昭和40年)待望の日本女子体育大学体育学部が誕生。現在の烏山キャンパス(世田谷区北烏山8丁目19番1号)に鉄筋コンクリート3階建ての校舎が建設された。
その後、短期大学を松原から移転させ、教育機関の烏山キャンパスへの一体化を進めるとともに、1989年(平成元年)基礎体力研究所の設置、1993年(平成5年)大学院修士課程の設置など、研究機関の整備・充実につとめた。1999年(平成11年)には時代の要求に応えるべく大学の改組を行い、現在に至っている。
年譜
1922年4月 (大正11年) |
「二階堂体操塾」を東京府荏原郡代々幡町代々木425に創立。第1回生として49名が入学 |
---|---|
1924年1月 (大正13年) |
関東大震災により、現在の世田谷区松原に移転(現在の日本女子体育大学附属二階堂高等学校・附属みどり幼稚園) |
1926年3月 (大正15年) |
財団法人日本女子体育専門学校設立 |
1928年8月 (昭和3年) |
「二階堂体操塾」第3期生・人見絹枝が、日本人女性初のオリンピックメダリストに |
1947年10月 (昭和22年) |
「みどり幼稚園」開園 |
1948年4月 (昭和23年) |
「二階堂高等学校」開校 |
1950年3月 (昭和25年) |
学校法人二階堂学園設立 |
1950年4月 (昭和25年) |
学制改革により、「日本女子体育短期大学」と改称。体育科と保育科を設置 |
1965年4月 (昭和40年) |
「日本女子体育大学」体育学部開学 |
1967年1月 (昭和42年) |
「日本女子体育短期大学」体育科に体育専攻と舞踊専攻を置く |
1967年4月 (昭和42年) |
「我孫子二階堂高等学校」開校 |
1976年4月 (昭和51年) |
「二階堂幼稚園」開園 |
1988年4月 (昭和63年) |
「二階堂高等学校」を「日本女子体育大学附属二階堂高等学校」に名称変更 |
1991年4月 (平成3年) |
「二階堂ハーススポーツ専門学校」開校 |
1993年4月 (平成5年) |
「日本女子体育大学大学院」を設置 |
1999年3月 (平成11年) |
「みどり幼稚園」を「日本女子体育大学体育学部附属みどり幼稚園」に名称変更
「日本女子体育大学附属二階堂高等学校」を「日本女子体育大学体育学部附属二階堂高等学校」に名称変更 |
1999年4月 (平成11年) |
「日本女子体育大学」体育学部体育学科を改組し、運動科学科、スポーツ健康学科を増設
「二階堂ハーススポーツ専門学校」募集停止 |
2000年4月 (平成12年) |
「日本女子体育大学体育学部附属みどり幼稚園」に「みどり幼稚園保育室」を設置 |
2005年4月 (平成17年) |
「日本女子体育大学体育学部附属みどり幼稚園」を「日本女子体育大学附属みどり幼稚園」に名称変更 |
2006年4月 (平成18年) |
「日本女子体育大学体育学部附属二階堂高等学校」を「日本女子体育大学附属二階堂高等学校」に名称変更 |
2020年4月 (令和2年) |
「日本女子体育大学附属保育園」開園 |