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中島(旧姓 西村) 慈恵(2002年度・スポーツ科学専攻卒)
■都立定時制高校教員
ちょっとしたことがすごく嬉しかったりする。
中島慈恵さんは、高校の体育の教員です。ずっと教師を目指してきて、夢をかなえましたが、大学の時に思っていた体育教師のイメージと、実際の仕事との間にはかなり開きがあったようです。体育教師として、どんな風に働いているのか聞いてみました。
<2008.10収録>
ここは?
説教部屋です(笑)。
今の仕事について簡単に教えてください。
私は、都内の定時制高校で体育教師をやっています。教員になったのは、ニチジョを卒業してからです。4年生の時は教員試験に合格しなかったので、卒業後に再挑戦しました。この高校は定時制といっても3部制の高校で、授業は夜だけではなく午前中からあります。私は、主に午前と午後の授業を受け持っています。ここの高校は、私にとっては2つめです。最初に赴任したのは工業高校でした。そこに3年いて、この高校に転任して今年で2年目になります。
なぜ教員になろうと思ったのですか?
自分の夢だったというか、漠然とですがずっと教員になりたいと思っていました。でも、ニチジョに入学してみると、教員になるのは厳しいって言われていて、採用もほとんどないっていう状況でした。まわりの人にも「他の仕事を探したほうがいいんじゃない?」って言われたりしました。でも、そう言われれば言われるほど、逆に「じゃあ、ちょっと挑戦してみようじゃないの。」っていう気持になっていきました。そういう時は負けず嫌いなんですかね(笑)。
シュウカツはしなかったの?
しました。私、就職ゼミ1期の時、級長だったんですよ。たまたま、いちばん前に座っていただけですけど(笑)。シュウカツは1社だけ、港湾会社を受験しました。英語が好きだったので、海外に関わる仕事がしたいなと思って。合同説明会の時に、先輩がいたのが縁で出会った会社で、説明会にも行き受験しました。内定をいただいたのですが、結局そこはお断りしてしまいました。
どうして?
その時、ちょうど私は教育実習の真っ最中でした。実習が楽しくて「やっぱり自分には教員の道しかない。」と、改めて思ったんです。だからどうしても、企業に就職する決心がつきませんでした。その後は、シュウカツはやめて、教員試験の勉強に専念することにしました。
と言っても、何を勉強したらいいのか良くわからなかったので、とりあえず広く浅くやりました。7月の2週目くらいに1次試験がありました。1次は、一般教養、教職教養、専門教養、そして論文です。結果はダメでした。もともと一発で受かるとは思っていなかったので、「もう1年勉強してやってみよう。」って思いました。
卒業後はどうしていたのですか?
卒業間際の年が明けた頃、たまたま私の出身中学校で「介添員」という仕事を募集していました。「介添員」というのは、特別学級で、障害がある子ども達の身の回りの補助をする仕事です。教員免許がなくてもできる仕事で、応募してみたら採用になりました。それで卒業後1年間、その仕事をしながら教員試験の勉強をしました。
どんな勉強をしたのですか?
今度は、ちょっと傾向をしぼって勉強しました。教師になるための予備校みたいなところがあるじゃないですか。私は通ってはいないのですが、一度だけ講座説明会を聞きに行って、「こういう問題集がいいよ。」とか、「東京都はこういう傾向です。」とかそういうことが聞けたので、それをもとに勉強をしました。
あと、ニチジョの就職ゼミの時に、新聞を読めって教えていただいて、日経新聞をずっと読んでいました。それがすごく役に立ちました。特に東京都は、一般教養の試験で時事問題がたくさん出るって言われていて、新聞を読む習慣をつけていたら、知識がついたというか、そのものずばりの問題は出ないんですけど、社会で起こっている問題がなんとなくこうだろうってわかったんです。あとは、SPIの問題集をこれも時事問題を中心にやっていました。
2回目の試験はどうでした?
勉強の仕方が良かったのか1次は通り、8月の終わりに2次試験がありました。2次は、集団討論と個人面接と実技でした。集団討論は、お題が出されてそれに対してどう考え、より良くするにはどうしたらいいかを、皆で討論しました。次に1人ずつ指名されて、どういう意見が出てどういう風にまとまったのかを話しました。心がけたのは、人の意見を否定しないこと、自分の意見を話すことでした。
個人面接では、模擬授業をやりました。授業の指導案を出し、ここをやってくださいって言われた部分を、面接官の前でやるんです。生徒は居るって想定して、一人芝居みたいな感じで。実技は、もともとバレーボールをやっていたのでそれをやりました。その時は、試験がうまくいったかどうか全然わかりませんでした。
結果は?
10月、たしか体育の日の前後に合格発表があって、都庁に行きました。発表は、名簿登載者と補欠合格者と分かれていて、名簿登載は採用確定、補欠は移動や退職などで空きが出た時に採用です。名簿登載者はほんとに少ないので、そこには絶対ないと思って、私は補欠合格者のところを見ました。番号が見つからなくて、「ああやっぱり落ちたな。」って思いました。でも、ひょっとしたらと思い、上(名簿登載者)のほうを見たら番号があって、「あれ...」って言う感じでした。
最初の学校は、どんな高校だった?
2月の2週めくらいに勤務地が決まりました。大田区にある高校でした。自分の地元でもあるので、高校の名前を言われた時は全然知らなくて、「え?」って思いました。実は、その高校は新設したばかりの全く新しい学校で、今年初めて生徒を募集するということでした。新設なので、伝統や前例がなく、全てが初めてやることばかりなので、最初はなかなかうまく物事が進まず、1年目は結構ガチャガチャしていました。
授業はうまくいきました?
最初は女子の授業を受け持つ予定だったんですけど、実際に学校に行ってみると、女子がクラスによっては3人しかいないところもあり、授業はクラス単位なので、結局男子も教えることになって、女子も男子も一緒にやっていました。でも、サッカーとかバスケットとかになると、女子と男子ではやっぱり差が出ちゃうので、男子が試合している間は、女子は練習やミニゲームをさせたりしてしました。
男子は、すぐプロレスごっこをやったり、体操服のズボンを下げちゃったりとか、「ここは小学校?」みたいな生徒もいたんですけど、でも今から考えると、体育を教えるという点では教えやすかったかな。ゲームなどをメインにすると楽しんでやったり、いったん運動を始めればそれなりに熱心にやるので。
あの頃は新人だったこともあり、「私、何もわかりません!」って開き直っていました。ある意味、若さを武器にしてコミュニケーションを取っていましたね。私も生徒も1年生で一緒に入ってきて、2年、3年と一緒に上がっていく、新設校ならではの仲間意識のようなものがありました。その学校には3年いて、4年目に転任になり、この学校に移ってきました。
どんな高校ですか?
定時制と通信制だけの高校です。授業は朝8時40分から夜9時まで、12時限あります。3部に分かれていて、それぞれの時間帯の中で必ず取らなくてはいけない必修授業があり、他の部には行けません。ただ選択科目は、他の部の授業を取れます。大学に近い雰囲気かな。同時進行で1日中授業が開かれているっていう感じです。
午前と午後で生徒が入れ替わるので、昼の給食はありません。晩の給食が3部の生徒のために、10時限と11時限の間(午後7時~7時25分)にあります。基本は4年で卒業ですが、所定の単位を取って3年で卒業することもできます。3年生になると、各自が選択科目を取っていくので、カリキュラムは個人単位になってきます。単位制で、授業料も自分が取った分だけを払うのでやや安いようです。
どんな生徒が通っているのですか?
色んなタイプの生徒がいます。高校に来た理由も様々です。中学校の頃は学校に通えなかったけど、高校に入って休まず一生懸命がんばっている子もいます。去年初めて卒業生を出しましたが、卒業後は就職・進学が半分半分です。ただ、3年で卒業した生徒のみなので、現在は1期生の4年生も多くいます。働きながら通っているいわゆる勤労学生はほとんどいません。アルバイトはしていますが。
授業は、どういうふうにやっていますか?
私の勤務時間は8時30分から5時15分までです(定時にあがったことはほとんどありませんが)。授業は、1部と2部の、女子の保健体育を受け持っています。2部の2 年生のクラス担任もやっています。あと、バレーボール部の顧問もやっています。
今教えているのは女子がメインです。選択科目は男子もいます。一生懸命やる子が多いですが、体育は苦手・体を動かすのは好きじゃないっていう生徒もいます。毎回授業の組み立てや伝え方を考えて「どういう風にやると、彼女たちは楽しいんだろう?」って模索中です。
私の通っていた高校は体育科だったので、基本的に運動が好きな子ばかりだったんです。自分が教える立場になって、あの高校の体育の環境がいかに恵まれていたかわかりました。私もみんなに体育を楽しませてあげたい、運動するとストレスが発散できて楽しいっていうのを味合わせてあげたいって思うんですけど...。
もしかしたら、「体育」ということに対して、自分の理想が高すぎるのかもしれないですね。自分が伝えたいことがなかなか伝わらない、そういう意味で生徒とのギャップは常にありますね。
部活はどうですか?
バレーボール部の顧問をしています。全日制とは別なんですど、定時制と通信制だけの大会があります。去年は、全国大会にも出たんですよ。でも、そのときのメンバーが3年で卒業し、今は残った2年生と新1年生の4人で日々がんばっています。部活の時間は、2部の授業が終わる4時から5時20分までで、1部から3部の子まで混じってやっています。
大学の頃に思っていた体育の先生のイメージと実際にやってみた体育の先生は違いますか?
だいぶん違いますね。大学の頃の体育教師のイメージは、なんかこういつも元気で、生徒もみんな体育の授業は楽しいと思って受けているって思っていましたから。体育教師自身も、スポーツも一緒にやったりして、いつまでも元気でいられるんだって思っていたんですよ。
実際、職場に入ってみると「体育の先生って、ただ楽しく体育をやっているだけじゃないんだな...。」ってつくづく思います。授業だけじゃなくて、部活や学校行事、生活指導...、色んなことに関わっていくので、話をわかりやすく伝えることも大切だし、生徒をまとめあげて集団で動かさなくてはいけません。全てが必要な要素なんだなっていうのが実感です。
どんなことで悩みますか?
生徒達ともっと一緒に話したいんですけど、なかなかゆっくり話す時間がなくてそれが悩みです。ホームルームの時間がたった5分なんですよ。毎日12時35分が2部のショートホームルーム、5分後にすぐ授業で、授業が終わったらすぐ部活に行かせてあげないと活動できないし...。
私は今27歳ですが、生徒との年齢差がまだちょっと近いのか、中途半端というか、入り込みやすい反面入り込みきれない、生徒を包んであげることができなくて対立してしまったりすることもあり、そこも悩みます。
生徒を叱ることもある?
ありますよ。しょっちゅう喧嘩もします。ええ、叱るんじゃなくて、喧嘩になっちゃうんです。先生対生徒というよりは、なんか人間対人間というか。そこで対等になっちゃいけないとも思うんですけどね。ただ最近、自分が上からものを言ってもだめだし、授業でも何でも、やっぱり人間関係が大事なんだって思いました。
コミュニケーション取ろうとしても、相手からシャットアウトされちゃうと、何やってもだめだし、いい関係じゃないと、全然聞く耳持たないっていうのもあるから、それはやっぱりここで学びました。自分がどういうスタイルで、彼女達と接したらいいかっていうのは日々悩みます...。
生活指導もやっていますが、これは授業よりむずかしいかも。指導するより、むしろ自分が(指導法を)学んでいます。この先生はこういうやり方をしているんだとか、ときにマネをしてみることもあります。だから、今はむしろ自分が勉強しなきゃいけないなって思っています。最近、小学校や中学校の体育の本とか、指導法について色んな本を読んでいるんですよ。
教師の魅力はなんだと思いますか?
人の成長に関われるところ。まだ担任2年目なので、クラスの生徒が卒業したら、また違う魅力があるのかもしれません。
教師になって嬉しかったことは?
生徒が今までできなかったことが、少しだけできるようになったとか、ほんとにちっちゃいことなんですけど、そういうことが励みになって、次もがんばろうという気になるんです。人に教える立場であるけど、いつも自分も学ぶ意識を忘れずにいようと思っています。その一方で常に満足できない部分もある。常に満足できない分、逆にちょっとしたことがすごく嬉しかったりする。
例えば、去年授業でいつも私とぶつかっていた子がいました。私の話すことには見向きもしないで、正直私も困っていました。でもその子が、いちばん最後の授業の時、学習ノートの隅っこに「ありがとうございました」って書いてくれたんです。最後にその子とちゃんと話をすることができ、「あ、そんなこと考えていたんだ。」ってわかって、わかりあえたっていうことが、すごく嬉しかった。
ついつい、その子をすぐに変えたい、結果がすぐ欲しいっていう気持ちに陥ってしまうんですが、結果はすぐに出ないんだなあって思いました。拒否されてあたりまえくらいの感じでいかないと、だめなのかも...。
先生って、与えるだけで見返りを求めちゃいけない職業なのかもしれないね。その分、影響力のある職業でもありますよね。
そうです。一言で人生が変わっちゃうっていうこともあるから、あんまり簡単にものを言えない部分もあるんです。でも、何年後かでも思い出してもらったりとか、そういう風になれたらいいなと思います。卒業しても先生のところに遊びにきたりとか、今でもつきあっているんだっていうベテランの先生の話を聞くと、いいなって思いますね。
私はまだ卒業生も出していないけれど、ここに来てすぐに担任を持って、卒業するまではこのクラスの担任を受け持つ予定です。20人だから、ひとりひとりの顔が思い浮かびます。たまに夢にもでてきたりするんですよ(笑)。
ニチジョ時代のことを教えてください。
昔からスポーツが好きでした。っていうか、体育しか好きじゃなかったかも(笑)。バレーボールを、小学校6年生から始めました。高校は、バレーボールが盛んな都立高校を探して、体育科に入学しました。だから大学も体育系を選びました。
大学は、ニチジョ、日体、東女体を受けました。みな受かったのですが、ニチジョにした決め手は、家からの距離と授業料の安さでした(笑)。また、ニチジョは当時、改組したばかりで新しいコースも魅力的に思えました。スポーツ科学専攻の1期生として入学しました。
大学では、部活には入りませんでした。環境的にむずかしかったというのもありますが、大学ではもっと違う世界を広げられたらいいなと思いました。その年、ニチジョのバレーボール部は優勝したんですよ。選手は全国から来ていてみんな大きかった。自分が入っていたとしても、これでは4年間ボール拾いで終わるなって思いました。
実家が小料理屋をやっていて、大学4年間はその手伝いと大学との往復でした。たまに自分の出た中学校に行ってバレーボール部の後輩の面倒を見たり、夏休みのプール指導のお手伝いをしたりしていました。私自身は、体育とか部活を通して人間関係ができてきたと思っています。そういうのがあったから、強くなれたっていうか、自分が助けられたっていうか、がんばろうって思えるようになったんだと思います。
今の夢を教えてください。
そうですね...。生徒に、「高校の体育の授業、楽しかったな。」って思ってもらえるのが夢かな。でも楽しくやるっていうのは、楽な楽しさじゃなくて、何かできないことができるようになった時の楽しさとか、汗をかいて気持ちよかったとか、そういう楽しさを味合わせたいと思っています。
結婚はしていますか?
はい。工業高校時代に、同じく新規採用で入った電気の先生と知り合い、結婚しました。子どもは、欲しいのですが、今はまだ時期を迷っています。今の学校で自分は初めて担任になったので、生徒が卒業するまでとりあえずワンサイクルはしてみたい。あと2年、待とうかなと思っています。
でも、子どもを産むっていうのは、自分だけの問題じゃないし、はたして未熟な自分が子どもを育てられるのか、仕事と両立できるのか、心配はありますが。教員は、育児休暇は子ども1人に対して最大3年まで取れます。その点では恵まれていると思います。
この間、ニチジョの就職セミナーに行った時に、OGで結婚されて2人もお子さんがいらっしゃるのに、バリバリ働いている方がいましたね。すごいなあと思いました。
最後に、ニチジョ生へのメッセージをお願いします。
たとえば一般企業なら、仕事の結果は利益で出たり給料に反映されたりするじゃないですか。だから、自分がやった結果をすぐに求めたければ、企業に行って自分をどんどん発揮していけばいいんじゃないかと思います。教師は、それとは別に、利潤追求とは別のところで人に関わっていける職業というか、じっくりやりたいっていう人にはいい職業だと思います。なりたいという気持ちの強さがあれば、きっとなれると思います。