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大澤 友美(2004年度・健康スポーツ学専攻卒)
■クルマ買取販売会社勤務
海外でバリバリ仕事してみた。
大澤さんは、クルマ買取販売店で店長をしていましたが、ずっと海外で仕事をすることが夢で、一度は会社を辞めてアメリカに留学した後、また元の会社に戻りました。入社通算10年後に念願がかなって、タイで働くことになりました。現在はタイから戻って人事の仕事をしています。
<2016.03収録>
タイに行ってたんだって?
2014年から、ちょうど1年いました。もっといたかったんですけど、まぁこればっかりは会社の命令なので...。
タイで何をやっていたの?
すごくやりやすいです!その年代は「シミがあるのはしょうがない」と諦めている方が多いので、それを「そんなことないですよ!」って励ましたり、「綺麗じゃないですか~」って褒めると、だいたい心を開いてくれます。それで商品もバッとラインで買ってくださったりして。
タイ人の社員とはどういう風にコミュニケーションを取っていたの?
大事なことを伝える時は、タイ語と英語と日本語を話すタイ人の社員に通訳してもらっていました。タイ人社員の半分くらいは英語ができるんですけど、もう半分は自分の英語力よりも下で途中でタイ語が混じったりするので、普段は英単語を並べてあとはジェスチャーとかでやっていました。
それでも、タイ人社員とは仲良くなれましたよ。普通にご飯食べに行ったり、遊びに行ったりしていて、上司に「お前の英語力でなんでそんなに仲良くなれるの?」って不思議がられていました(笑)。
どんなところに住んでたの?
バンコクの中心地、日本で言ったら新宿みたいなところです。サービスアパートメントって言うんですか?ホテルとしても利用するし、長期滞在する人もいて、ベッドや家具も付いています。週に2回ぐらいルームサービスやベッドメイキングもしてくれました。
ご飯はほぼ外食です。その方が安く済むんですよ。日本人は全員同じところに住んでいたので、夜はみんなで一緒に食べに行ったりしていました。そうなるとなんか海外に行っている気がしないので、たまに「自分はタイ人とご飯食べて帰るんで電車で帰ります。」という時もありました。
前のOG図鑑で取材した時は入社2年目でした。あの頃は「アメリカに行きたい。」って言っていましたね?
あの頃、自分はずっと「ロスの販売店で働きたい!」と言っていましたが、行かせてもらえませんでした。「このペースで30歳になって、仕事でもプライベートでも行く機会を失なったら絶対後悔する。」と思って、勤めて4年目の春に会社を辞めてロサンゼルスに行ったんです。
向こうで語学学校に通って、自分が働きたいと思っていたロスのお店にも行ってみました。向こうの店長に色々案内してもらって「やっぱりここで働きたい。」と思いました。
ホームステイ先のホストマザーにはとても親切にしていただいて、「トモミは絶対、前の会社に戻ったほうがいい。ここまで来てお店を見に行って、ワクワクしたんだったら、もう一度戻ってきてここを目指しなさい。」と言われました。
グランドキャニオンやラスベガスなど色々行ったので、4カ月目にお金がなくなってしまい、日本に戻ってきました。向こうで誕生日を迎えて、27歳になっていました。
日本に戻ってからどうしたの?
会社を辞めたのを機に、他の会社も見てみようと思いました。体育大卒の経歴を活かして、サーキットトレーニングのジムにインストラクターとして入りました。アメリカで5キロ太ったんですが、3カ月間インストラクターをしながらダイエットに励んだら、理想の体型になって「これはいいや。」と思いました(笑)。
ジムの契約が残り1カ月ぐらいの時に、前の会社の元同僚に連絡して「戻りたいんだよね。」って相談をしてみました。そしたら元上司から電話をいただいて、「お前いつから来れるんだ?」って。「今の仕事が1カ月後に終わるんで、そしたらいつでも。」と答えたら、「じゃあ、人事に言っとく。」と言われ、それから2日後に人事から電話があって、復職が決まったんです。
優しい会社ですね。
はい、だからもう辞められないんです。ちなみにその時にお世話になった上司は、常に自分の人生のターニングポイントで関わってくれた人で、自分が店長になった時もその人のもとでやっていました。復職して、当時できたばかりの大型販売展示場で働くことになりました。
うちの会社の会長は、走ってユーラシア大陸を横断しちゃうような人ですが、その会長が社員向けの講演会をやった時に、「今ここで自分がチャレンジしたいことを言える人?」って訊いてきたので、「ハイッ。」って手を挙げて「自分は海外勤務をかなえたいです。今、女性で海外で働いている人はいないので、自分がまず行って、将来の女性リーダーを目指したいです。」とアピールしました。
その後、全国の販売優秀店が招待された食事会で、「イエス・ノーゲーム」みたいのをやって、役員が「この中で海外に行きたい人?」って訊いてきたので、私はボタンを押しました。他にも10何人か押してて、続けて「タイに行きたい人?」って訊かれたので、またボタンを押したら今度は3人になって、「それは私ですと言える人。」って言われて席を立ちました。
2年間大型販売展示場で働いた後に、再び店長試験を受け、その最終面接の時、上司に「今、店長行きの切符と、タイ行きの切符があったら、どっち取る?」って聞かれて、「店長はまた目指せるけど、タイ行きのチケットは2度と来ないと思うんでタイを取ります!」って答えました。その後しばらくしてタイ行きの辞令が出ました。
念願の海外勤務だね。タイの人ってどんな感じですか?
タイ人は優しいですよ。地域によってタイプが違っていて、南の方は陽気で濃い顔をしていて、沖縄人をより楽天的にした感じです。北のほうは中華系が多くて、お金持ちが多いんですよ。どちらもコミュニティーがあるみたいで、家族はスーパー大事にします。家族が病気だとお休みしますからね。親を楽にさせるために働いているとか、仕送りしてる人も多いです。
女性はどんな風に働いていますか?
女性の方が働いていますね。逆に「男はあんまり働かない。」って言っていました。そう言えば、ディーラーの営業もみんな女性で、マネージャーや管理職も女性が多かったです。女性が働くのは当たり前という感じでした。
子どもがいてもみんな普通に働いていて、お金持の家ではメイドが育てていたり、あとは、たぶんみんな親に預けてます。地方出身者は、子どもができたら実家に送り返す人もいるみたいです。デリケートな問題だからあんまり聞けなかったですけど。
離婚率も高くて、離婚はそんなに気にすることじゃないらしいです。自分も「子どもいる?」「結婚してるの?」とよく聞かれました。「いたらここに来てないよ!」って思いましたが(笑)。
タイで旅行とか行った?
チームワークを高めるための研修旅行で、タイのホアヒンっていう避暑地みたいなところに行ったことがあります。1部屋に10人ぐらいで一緒に寝て、朝、順にシャワー浴びていて、私は「まあ、みんな女だからいいか。」と思ってバスルームから裸で出てきたら、キャーキャー騒がれて「服着てから出て来い。」ってまたバスルームに押し込められました。タイ人は人前で裸になることはあんまりないみたいで、温泉とかたぶん嫌だと思います。
あと、タイの友人達が「ひとり1000バーツで、みんなで旅行をしよう。」って言い出して、パタヤからフェリーに乗ってサメット島に行きました。「どう考えてもひとり3千4、5百円で2泊3日は無理だろう。」と思ってたんですけど、案の定、途中でお金がなくなっちゃって...。しかもご飯食べる前に。結局、自分ともう1人の日本人が「いいよ、出すよ。」って払わされました。でもまぁ、お給料を考えたらしょうがないかと...。
現地の人のお給料はどれぐらいですか?
ホワイトカラーの仕事だと、だいたい3万から4万バーツくらい。1バーツ3.5円ぐらいだから、日本円にして10万円ぐらいかな。それでも貰ってる方だと思います。でもマーケティングマネージャーは英語ができたりしたので8万バーツとか、自分の給料と変わらないぐらいもらってました。でもすぐ辞めちゃうんです。タイでは3年持てばいいらしいです。
一生同じ会社にいることはない?
ほとんどないと思います。同じ給料だったらこっちの方が楽とか、ちょっと魅力的なところが見つかるとすぐ移ります。会社に対する忠誠心はほぼないですね。入れ替わりが激しくて、でも変な感じでは辞めないので、辞めても普通に遊びに来ます。
職場にはLGBTの人もいて、みんなカミングアウトしていました。だから英語で呼ぶ時に、Sheって言っていいのか、Heって言っていいのかわからなくて困りました(笑)。でも本人たちはあんまり気にしていなくて、「どっちでもいい。」って言うんですよ。
タイはLGBTの人にとっても生きやすいと聞きましたが?
全然ストレスなく生活できますね。でも会社の人は「性的指向の組み合わせが中々ビンゴにならないんだよね。」って笑っていましたが。
男装する女性をトムボーイ、女装する男性をレディーボーイって言うんですが、タイで一番仲が良かった子はレディボーイでした。もともと男だけど中身はめっちゃ女子、恋愛対象も男で、普通に「今日は、大澤んちに泊まろー。」みたいな感じで遊びに来るんです。
ある意味、生き方に対して自由ですね。
何て言うか、「どっちが楽しいか。」で、感覚的に生きている気がします。仕事もちょっと放っておくとYou Tube見てたりして集中しないんです。マルチタスクは苦手のようです。与えられた仕事以外は基本しないし、その仕事を例えば1時間で終わったとするじゃないですか。後の7時間は自由なんですよ。「次に何しようかな?」とは考えない。「だって終わってるでしょ?」みたいな。
いいなぁ(笑)。
だから自分ともう1人の日本人社員が、やたらセカセカ働いているように見えるらしく、いつも「大澤、顔がシリアス。スマイルね。」「大澤、スケアリー。リラックスして。」って言われていました(笑)。
タイの交通事情は?
タイは日本車が多いですね。ハンドルも一緒なので。ミニバンはまだそんなに多くなくて、コンパクト車と、セダンが多いですね。あとピックアップトラックのシェアがすごく強い。向こうでは、ピックアップの方が使えるんですよ。荷台にすごい人が乗っていて、交通ルールなんてあってないような感じですからね。
渋滞がひどくて、町中はクルマが全然進まないんです。日本人なら「渋滞だから10分前とかに家を出よう。」と思うじゃないですか。タイ人は、「渋滞のせいで遅れるのはしょうがない。」って、平気で遅刻してくるんですよ。
トゥクトゥク(3輪バイク)は完全に観光客向けで、ボラれるので現地の人はまず乗らないですね。かわりにバイクタクシーがたくさん走っていて、後ろのシートに乗るんですが、めっちゃスピード出してすり抜けしたりするので怖いんですよ。運転手はヘルメット被っているのに、客は被らないんです。事故率が高いので会社は使用禁止でした。タイ人はバイタクに器用に横乗りで座っていて、バイクで普通に3人乗りとかもしていました。
メトロやMRTっていう普通の電車も走っています。バスもあります。MRTとスカイトレインっていうやつは日本の電車より綺麗なくらいで、わりと時間にも正確でした。
屋台がおいしいんでしょ?
おいしいですよ。お昼はほとんど屋台ですましていました。タイ料理は何にでもニンニクが使われていて全般的に辛く、辛くなくてもパクチーとか入っていて、何かしら刺激的です。
タイの屋台の衛生管理のルールで、「地上から30センチ以上のところで調理をしなさい。」っていうのがあります。だいたい食器を洗うバケツが3つあって、まず1つめである程度落とします。次で洗います。次でバシャーンってすすいで、そこに新しいのを盛って出します。それ見てたら食べられなくなりますけどね(笑)。
病気になったりは?
2回、当たりました。たぶん貝です。2回目の時は本当にやばくて、のたうちまわりました。休みの日の朝、家でゴロゴロしてたら、急にお腹が痛くなってきて、それが30分おきだったのが、20分おきになって、10分おきになって、5分おきになって、「陣痛ってこんな感じか?マジでヤバい。」と思いました。
友達に連絡して、病院に連れてってもらって、10段階の痛みレベルの怒った顔みたいなやつを示されて、8のところを指差したら、注射を打たれたんですよ。冷たい液体が身体の中に注入されて1分もしないうちに、スーって痛みが引いていきました。「え、何これ?」って。
それはきっとモルヒネだね。
そのまま点滴を打たれて、半日入院しました。それ以来、胃が荒れちゃっって、食べても出しちゃうので、1週間ぐらいろくに食べられませんでした。タイ人の友達がすごい心配してくれて、お昼の時も「ご飯買ってきてあげる。」って。
私は「じゃあ、食べられそうなやつをお願い。」って言って。日本だとそんな時はおかゆとか素うどんじゃないですか?それが、「これ、うまいから!」って、けっこう辛いやつを買ってくるんですよ。「この状態で、うまいかうまくないかとかどうでもいいんだけどな。」って思うんですけどね(笑)。
どうして帰ってくることになったの?
事業の見直しのタイミングで、ボスも変わって人の入れ替えをすることになって、自分ともう1人の社員が日本に帰ることになりました。
海外で働いてみてどうでした?
良くも悪くも、自分の海外での実力が分かっちゃったと言うか...。語学力もだし、やっぱり海外で人のマネジメントはすごい大変だとわかりました。20代のような勢いではもう行けませんね。
戻って今は何を?
人事で、海外勤務を希望する学生のリクルーティングをしています。会社は今、海外進出を打ち出していて、海外事業も多くなってきたので、自分ともう1人、ニューヨークに行っていた男性社員の2人で担当することになりました。
うちはリクルーター制度を使っていて、エントリーした学生に担当社員が最終面接までついて伴走するんですが、誰かの担当の学生が「海外に行きたい。」って話になると、私達がピンポイントで入ります。今、うちの会社にエントリーしてくる学生の3、4割が、海外勤務志望なんですよ。
でも、夢と希望しかないようなキラキラした目の学生が、「海外行きたいです!」って言うのを見ると、私は「そんな甘くないよ。」って冷静になっちゃうんですよ(笑)。
「海外ならどこでもいいの?」って訊くと、「いや、英語圏でないと。」「言葉通じないとか、もう無理じゃないですかー。」って言うんですよ。私が「タイに行ってたけど、なんとかなったよ。」って言うと、「いやでも、タイとかないです。怖くないですか?」って。「タイでないって言ったら本当、終わるよ?」と思います。
逆に数パーセントですけど、「英語圏では面白くない。」っていう学生もいて、本気の学生となんとなく興味があるだけの学生に二極化しますね。
新卒でいきなり海外もある?
最初は日本の現場を経験させるので、行くとしても入社2年目、3年目です。採用時に行って大丈夫そうな人を選んでいます。店長クラスじゃなく若手を行かせるのは、仕組みづくりやマネジメントを経験させているんだと思います。
だから、人を引っ張っていける統率力も必要です。「英語しゃべれるから行きたい。」だけなら、「別にあなたじゃなくていいよ。あなたにしかできないことがなければ難しいね。」って言っています。
人事をやったおかげで、育成とか教育的なところも含めて、最近は「女性の働き方」みたいなことに興味が出てきました。
ほう、女性としての働き方ですか?
今の会社は、男だから女だからっていうところもあまりないし働きやすいんですが、女性社員が25パーセントいるのに、女性の執行役員は1人しかいないんですよ。そういうことに興味のある人がいない、上昇志向がない人が多くて...。私はそれが歯がゆいと言うか、なんか悔しいんですよ。
どうやったらステップアップできるか自分でも悩んでいて、でも、よくよく考えたらそんなロールモデルを社内で探してもいないし、じゃあ自分が色んなことやって、その中で自分もステータスが上がっていけば、どっかで「大澤を目指したい。」っていう人が出てくるんじゃないかかと。
自分がリーダーになりたいとか出世したいと言うよりも、そういうことにガツガツなれるような環境を作りたいんです。今の上司は体育会系じゃないとダメなんですよ。なんか言われて「ハイ、すぐやります!」って走っていくタイプじゃないと。トップダウンだけど、その分仕事は任せてくれるのでやりがいはあります。
なんか、仕事に生きてますね(笑)。
来月で34歳になっちゃいますが、悲しいけど今は仕事してる時がいちばん楽しいです。仕事がちゃんとできてないと落ち着かないというか、休みの日にたまに友達といても、上の空で「ヤバイ、あれやってなかったな。」「あっちも進めとかないと。」「明日キツイんだよな。」とか仕事のことを考えてしまって。それも良くないんですけどね。
今の就活生、どう思いますか?
自分の人生なのに、自分で決められない人が多いですね。辞退の理由を聞いても、「親にあなたが車を売るなんて無理。」って言われたとか、「親が帰ってきてほしいって言われた。」とか...。なんかこう大きなことは考えないで、今あるパイの中で無難に生きていこうとしているように見えます。
特に女性の新人は、ボランティア志向の子が多くて、「お客さんから利益をもらうのが申し訳ない。」って言うんですよ。お金を儲けることが悪いとか、汚いことだと思っちゃうんですね。その割に「給料安い」って文句も言うから。
私は「じゃああなたたちの給料、どこから出てるんですか?」 って言うんです。買い取りの時も、高く買えばお客様は喜ぶけれど、その分会社の利益を圧迫しているわけで、「お客さまに納得してもらった上で、適正な価格で買い取るのは悪いことではないんだよ。」って...。
企業は利益を出すことが大前提だから、安く買って高く売るのは商売の基本ですよね。
昨日ある学生に会って、「ちょっといいな。」と思ったのは、「この会社で稼げますか?」って聞いてきたんです。「若いうちはガツガツ稼ぎたいんです。」って。「そういう気持ちがあるなら大丈夫。」と思いました。彼女は、体育大の学生でした(笑)。
今、日本で就職先がない人が、タイやシンガポールで働いていると聞きましたが?
ほとんどみな現地採用で、日本向けのテレマーケティングをやったりしています。給料は10万ぐらいだけど、生活費も安いからそこそこの生活ができるんです。それでハッピーな人もいるんですよね。
グローバルになればなるほど、海外もまた日本人にとっての仕事場になりつつありますね。
これからは国境をまたいで仕事していないと、生きていけないのかも知れないですね。
海外でバリバリ仕事している自分、を想像してみる。
大澤友美さんは、クルマ買取り販売店の店長をしています。最初はセールスアシスタントとして入社しましたが、営業に転身し、次に店長となりました。大澤さんには、仕事のステップアップを支えている、変わらない夢がありました。
<2008.05UP>
今の仕事についたきっかけはなんですか?
大学4年のシュウカツに疲れ始めた頃、同期の子に「この会社の説明会、面白いから行ってみれば。」って言われ、クルマには特に興味がなかったけど、ニチジョの先輩がいたこともあり行ってみました。その時の第一印象が良く、会社のカラーも自分に合っていると感じました。先輩は社内の人を何人も紹介してくれ、社長とお話することもできました。その時、この会社がアメリカに出店計画があることを知りました。たまたま当時の自分の夢は、いつかはアメリカに行くこと、でした。「ここでがんばっていれば、洗車係でもいいから、アメリカに行けるかも知れない。」と思い、この会社について行こうと思いました。今年の4月で、働き出してから4年目になります。
最初はどんな仕事をしましたか?
最初は、セールスアシスタントという業務でした。営業マンが買ったり売ったりする車の事務処理をする仕事です。私は店舗に配属されましたが、本社にはニチジョの先輩や同期入社の子がいて、店のPR取材などがあると私を紹介してくれたり、何かと気にかけてもらいました。私は本社に行く用事があると、店を統括しているマネージャーに、アメリカに行きたいという私の夢をさりげなくアピールしていました。
就職して2年ほどたった頃、マネージャーに「そんなにアメリカに行きたいんだったら、今の仕事経験だけじゃ足りないから、営業をやった方がいい。」と言われました。セールスアシスタントの仕事は慣れてしまえばそう難しくはなく、物足りなく思っていたこともあり、私も営業をやってみたいと思いましたが、利益を生み出すような仕事が自分にできるかどうか確信はありませんでした。
ちょうどその頃、女性スタッフだけの店を作ろうということになって、営業職の社内公募がありました。私は「チャンスかも知れない。今、手をあげなきゃ、たぶんずっとやれないだろうな。」と思って、エントリーしてみました。そうしたら、人事担当に「おまえがエントリーしてくるのはわかっていたよ。内定したから準備しとけ。」って言われました。営業研修を受けて、働き出してから3年目の4月、店長以下全て女性スタッフの店に、私は営業として配属されました。
営業になってみてどうでした?
思いきってエントリーして良かったと思いました。お客さんと話している時間も、すごく楽しくて。仕事で数字(利益)を出せた時は、興奮しました。セールスアシタントの仕事は、仕事の成果が数字に現れてくるわけではないので、もどかしい思いもありました。その点、営業の仕事は数字ではっきり計られるので、それが刺激になりました。
女性スタッフだけの店は、利益だけではなく接客面も重要視していました。目先の利益よりも、長期的にリピート客や紹介率を増やしていったり、会社のイメージや顧客満足度を上げることを求められていたからです。私も、お客様にどうしたら喜んでいただけるのか、自分なりに営業スタイルを考えるようになりました。
ところがその年の8月、私は女性店長と大ゲンカをしました。店長は私のことをとてもかわいがってくれ、私も店長が大好きで、家にもしょっちゅう遊びに行ったりするほどだったのですが、知らず知らずの内に歯車が狂い始め、お互いの関係がだんだんギクシャクしていました。仕事のことで衝突した時、自分はもうやめてもいいと思うくらいの勢いで、店長に喰ってかかりどなってしまいました。結局、私は店を移動になり、私は、ホントにもうやめなくちゃいけないのかなって思いました。
1か月後、別の店の女性店長から、「私の後任として店長にならない?マネージャーも大澤でいいって言ってるから。」って言われ、信じられないくらいびっくりしました。同時に「このチャンスを掴むか掴まないかはあなた次第だけど、スタッフの生活を背負っていくことだけは忘れないでね。」とも言われました。やめることさえも考えていたのに、こんな私に店長の職が勤まるのかどうか正直悩みました。3日間くらい考えて、やっと「やらせてください。」って言いました。
大抜擢ですね。
でも自分が店長になって1か月もすると、つくづく店長という立場の厳しさ、つらさを痛感しました。遅まきながら、前の店長の立場もやっと理解することができ...。今になってあの時のことを冷静に考えていると、あんなに怒った事を後悔している自分がいました。
そんな頃、会社の飲み会があり、前の店長も来ていました。私は思いきって近付いていき「店長になってから、色々考えました。あの時のことは、すごく反省しています。許してくれるかどうかわからないけれど、ごめんなさい。」って言いました。そうしたら、前の店長も「ごめんね。私のやりかたも間違っていたと思う。あなたをどう扱っていいのか私もわからなくなっていた。」って答えてくれ、今ではまた元通りの関係に戻ることができました。
今、店長として気をつけていることは?
やはり、職場の人間関係ですね。上司からは、自信を持てと言われますが、人を使うことに関しては初めての経験だし、部活でキャプテンやってきた時とは違うなと思います。部活では、同世代か年下をまとめていけばいいのですが、私は今、店で下から2番目に若いんです。
仕事上では、私が一番上の立場ですが、店には10歳以上も年上の人もいます。人生の上では大先輩です。部下として間違っているなと思っても、強く言えずおちゃらけちゃったりすることもあり...。最近やっと「それは違うよ。」って言えるようになってきたけれど、言っている自分に、実は自信がなかったりね。上司には「感情的にだけはなるな。」ってクギをさされています。
あと、お客様と話していると、社会経験のないのがポロって出ちゃう時もあり、お客様に説教される時もあります。でもそんな方ほど色々教えていただけるので、私にとってはありがたい存在です。 悩んだときは、他の店長に相談するようにしてします。2歳年上の女性店長もいて、悩みを共有できたりするので良く話します。
1日のスケジュールを教えてください。
朝は9時くらいまでに出勤します。朝食は、朝マックかコンビニのパン。お店に着くと、まず最初に前日の売り上げや今日の予定を確認します。9時半から、他の店も交えて電話で朝礼をします。10時から店がオープン。昼ご飯は、たいていコンビニ弁当です。閉店は8時。その時点でお客様がいなければ、8時半くらいには帰れます。お客様がいれば、10時くらいまでいることもあります。夜はその日によって違いますが、たいてい外食かコンビニですね。家でご飯炊く事は、めったにありません。こうして見ると私、コンビニ・ヘビーユーザーですね(笑)。あと月曜日には、月に2~3回店長会議があり、本社に20人くらい集まります。
店のお休みは、木曜日。他に月に2回程度、交替でお休みを取ります。休みの日は、たいていお昼すぎまで寝てるかな。夜は飲みに行ったり。週に3回くらいは、仲のいい子や会社のメンバーと飲みに行き、ストレスを発散します。
学生時代のことを教えてください。
サッカーをやっていたのですが、大学では部活に入りませんでした。そのかわり、社会人チームに入りました。高校まで、大会で優勝めざしてやってきたので、そういう緊張感がポンって取れちゃって、どこか遊び気分でやっている自分に気がついて、せっかく体育大に入ったのだから、何かを残したいと思っていました。 そんな時、バイトに行くため渋谷駅を歩いていると、ふと旅行会社のパンフレットが目に止まりました。『ホノルルマラソン』ってでっかく書いてありました。「コレ、いいかも...。」と思って、その旅行会社に入って行きました。
でも英語を全く話せない自分が、1人で行けるのか?って思い、友達を誘おうと思いました。でも、「ハワイへ行こう!」ならいいけど、「ハワイへマラソンに行こう!」って言える友達は思い当たりませんでした。「エーイ。1人でいっちゃえ。」と思い、その場で申し込みをしました。本番3か月前なので、必死に走るトレーニングをして、なんとか20キロ走れるようになり、めちゃくちゃ不安な中、ハワイに行きました。
ホテルに着いて、ご飯を食べに町へ出かけて行き、適当に見つけたお店のバーカウンターで、独りでご飯を食べていると、ビジネスマン風の現地の人に話しかけられ、アセリました。でもその人は、帰り際にビールをおごってくれました。私はその時つくづく、「ちゃんと話ができたらなあ...」と思いました。
勉強はきらいで、『国語もできないのに、英語なんてできるかよ。』って思っていた自分が、帰ってから、語学学校に通い出しました。その後、カナダやヨーロッパにも行ってみましたが、やっぱりあのハワイでの体験が忘れられず、自由な雰囲気のアメリカが、自分には合っていると思いました。英語バリバリで海外で仕事している自分を想像して、「そんな自分になりたいっ!」と思いました。
ところで、マラソンは?
あー、走りました。ボロボロになって...。最高でも20キロしか走ったことないから、20キロ走った時点で、まだ20キロあることにうんざりしました。でも、ここで止めても、あと20キロも歩けないと思って、なんとかだましだまし走り続け、いやになってまた途中歩いたりで、5時間48分。死ぬかと思いました。
実はこの間、社長とマラソンしたんですよ。スタッフのモチベーションを高めるという名目で、新人も含めた女性社員十何人かで、皇居の回りを走ろうというイベントがありました。社長は60歳過ぎていますが、マラソン好きで、ホノルルマラソンも走っているし、マラソンでアメリカ横断もやったことがあるほどなんです。上司には「社長と話をするチャンスだよ。」ってささやかれ、私はがぜんやる気になり、社長にピッタリ着いていき自分をアピールしようと思いました。
でも、社長は早いんです!死ぬかと思った...。走る前にマネージャーから「これは数字と一緒だ!一度離れたら、取り戻すのは至難のワザだ!!社長のペースにどこまで着いていけるかだァー!!!」って言われたことを思い出し、必死で食らいついていきました。そうしたら社長は、私のペースに合わせてちょっと後ろを走ってくれ、私のペースが落ちたらまた並んで走って、私を引っ張ってくれました。私は走りながらやっと「私も、ハァハァ、ホノルル、ハァハァ、走りましたァ...」って言いました。
その後食事会があり、私はちょっと遠慮しながら社長の前に座らせてもらいました。タイミングをうかがって今しかないと思い、思いきって「私を、アメリカに行かせてください。」と言いました。社長は、「女性だけの店は今は3店舗だけです。まず3店舗を黒字にする。そうすれば、次に30店舗が見えてきます。30店舗黒字にしたら、海外でも成功するかもしれないね。そうなったら面白いと思わないか。」って言われました。
今の夢を教えてください
店長になって、次に何を目指すのか、目標が見えてきました。今は1店舗でも精一杯ですが、次は3店舗がある。そして30店舗...。それは当然、独りではできません。スタッフの協力が必要なんですよね。
入社当時から「私はアメリカに行きたい!」って、誰彼かまわず表明していました。その夢は今も変わっていません。変わったことと言えば、入社当時はアメリカにお店はなかったのですが、今は実際に3店舗あること。そして私自身は、入社当時は「アメリカに行ければ、洗車係りでもなんでもいい。」と思っていたけど、今は「どうせアメリカに行くなら、向こうでも(女性だけの店のような)新しいスタイルの店を作って勝負してみたい。」なんて、生意気なことを考えるようになったことかな...。
えっ?ワタシ、少しは成長してる?(笑)
キャリアセンターの合宿には、良く来てもらっていますよね?
はい。ああいう所へ行くと、勉強になりますよ。3年生と話していると、初心に戻れるというか、かつての自分を思い出します。また、自分の位置を再確認できたりもする。同期や先輩の人と話す事で、世界が拡がって、また勉強になる。学生のためにも来ているけど、自分のためでもあります。
最後にニチジョ生へのメッセージをお願いします
学生時代は、あまりカタチにとらわれないで、自分はこれだと思う物を、ガムシャラにやってみることをオススメします。何かにのめり込むって、悪くないですよ。