資格・就職
- 販売・接客系
- ラクロスショップ
上林 梨沙(2000年度・体育学科卒)
■株式会社プルータススポーツ
夢中になれるものがあれば、やり続けられる。
上林梨沙さんは、ラクロス用品の専門店で働いています。自身もラクロスプレイヤーとして活躍しており、2001年にはワールドカップの日本代表に選ばれています。
今の仕事を選んだ理由やきっかけは?
今の会社に正社員として就職したのは、卒業して2年目くらいです。それまではアルバイトとしてこの店で働いていました。この店は、私がニチジョの1年生の時ラクロス部に入って、ラクロス用品を買いに来てから知っています。当時ラクロスショップと言えば、このプルータスしか知りませんでした。3年生の時にお店でバイトしないかって声がかかって、週に1、2回くらいアルバイトするようになりました。
その頃はラクロスに集中していたので、4年生になっても全くシュウカツはしませんでした。卒業した年の6月にワールドカップがあり、私も出場しました。ワールドカップが終わってそろそろ就職をしようと思い、卒業して1年たった頃、何社か(アディダスとか...)受けましたが、受かりませんでした。週末のラクロスをメインに考えていたので、土日ラクロスが続けられるという前提で探していました。そうしたら、イントラも無理、飲食などのサービス業も無理。土日絶対に休める仕事じゃなくてはいけなかった。試験を受けて公務員になろうかなと思っていた頃、この店に欠員が出て、プルータススポーツの正社員にならないかと言っていただきました。タイミングが良かったんだと思います。
どんな仕事ですか?
ここの店はラクロス用品を販売しています。私と店長の2人で、主に私は小売り、店長は仕入れというように役割分担しています。あとはアルバイトが2、3人います。この店の運営は基本的にまかされてやっています。プルータススポーツは、アイスホッケー部門とラクロス部門があり、お店はそれぞれ分かれています。親会社が鉄鋼会社で、最初はアイスホッケー用品だけを扱っていましたが、ラクロス協会からの依頼もあって、ラクロス用品も扱うようになりました。男子も女子も扱っていますが、うちのお客様はどちらかと言えば女子のチームが多いです。ユニフォームなども作っていて、自分でパソコンを使ってデザインしたりもします。
仕事も競技もラクロスですね。
そうです。365日、ラクロス漬けです(笑)。
ここで働いていていいことは、仕事上ラクロスの道具やルールに関しての情報が真っ先に入ってくるので、競技の理解が深まることかな。一時期は、商品ひとつひとつに興味を持って、英語のマニュアルを読み込んだり、使っている人に聞いてみたり、ラクロスおたくになっていました。そうすることでお客様により詳しく商品情報を説明できるし、自分がプレイヤーということも、商品の関してのアドバイスがしやすいと思います。競技者として全日本選手権やワールドカップに出たということで、お店の知名度にも少しは貢献できていると思います。
仕事と競技が一緒で困ることは、たとえば試合に負けた時とか、練習がうまくいっていない時でも、毎日ここに来て仕事としてラクロスに向かいあっていなければならないことです。気分転換したくても、なかなかできずつらい時もあります。だから趣味を持つことが大事だと思い、スノーボードとサーフィンを始めました。全然違うスポーツなので、気分転換になるし、すごく楽しいんです。
スノボは4年前から始め、結構真剣にやっています。ラクロスのオフシーズンはほとんど毎週末やっています。うまくなるためビデオを見て研究したりして。ラクロスでうまくなりたいなんて、最近は思わなくなってきたのに(笑)。サーフィンは去年の10月から始めて、週に2回くらい九十九里に行きます。うんと早起きして、2~3時間くらいサーフィンして、帰ってきてお風呂に入ってから出勤です。
やりがいを感じることは?
やりがいのこと、最近考えていないな...。
私はプロの選手じゃないけど、自分の興味あることを仕事にするのが楽しいことは確かです。それこそ仕事もスポーツになります。仕事とスポーツは似ています。のめり込み方が似ている。もっと若かった時は、仕事をしているというよりも、ここに来ていてもラクロスしている感覚がありました。
今は、全日本でやっていた時と較べて立場的に責任が増してきたこともあって、私にとってのラクロスは、仕事になりつつあります。競技や趣味云々というよりも、ラクロスにまつわる全てが仕事というような...。たとえばチームで練習していて、誰かのクロスが切れても、私はプルータスの人間ということで頼られたりとか(笑)。
やっぱり興味がないと長く続けられないです。それは、仕事も競技も一緒だと思う。仕事やトレーニングはたいていつらいけど、つらくてもやれるのは、やっぱり興味があるからだと思う。そうじゃないと、つらさに負けちゃって楽な方に逃げちゃいますよ。だったらはじめから競技じゃなくて、趣味としてやったほうがいい。
純粋に仕事ということでは、3年前に店長が産休育休のため、この店をまるまる1年間まかされた時があるんです。その時は仕入れから小売りまで全部自分でやって、やりがいを感じました。今後やりがいにつながりそうなのは、ホームページを作って、ネット販売をしてみたいと思います。店の売り上げ増にもなると思います。
ワールドカップのこと
私が出場したワールドカップは、2001年6月にイギリスで開催されました。出場国は、アメリカ、オーストラリア、カナダ、イングランド、ウエールズ、スコットランド、ドイツ、日本の8カ国です。その年の優勝国はアメリカで、日本は7位でした。4年生の時に代表の選抜があり、第一次選考として体力テストを受けて30~40人に絞られ、トレーニングをして行く中でさらに16人に絞られて、最終的にそのメンバーでワールドカップに行きました。
どんな学生時代だった?
最初は短大の体育科に行きました。教員を目指していました。ニチジョに入って、大学から始められる競技をしたくて、ラクロスかサッカーか迷いました。高校時代は軟式テニスをやっていました。ラクロスの練習を見学にいった時、「道具」を使うという点がテニスと同じで面白いと思い、すんなり入れました。実際に練習を始めてちょっと戸惑ったのは、テニスのダブルスは2人だけなのに、ラクロスは12人いるので、どうやってアイコンタクトしてプレイするのかなって思いました。私のポジションはアタックのウイングです。役割としては、オフェンスの走り屋です。
短大の時、教育実習に行きました。教えることは好きなんだけど、なぜかその時、自分が教員になるイメージがわかなかった。でも4年制に編入したかったので、勉強はまじめにしていました。編入して3年生になってからは、いつのまにか教員のことは頭から消えて、ラクロス一色になっていました。考えると、今から振り返れば学生の時はラクロスしかしていないんですね。
ニチジョで学んだことは、どのように活かせていますか?
なにせラクロスしかやっていなかったからなァ(笑)。卒論もラクロスでした。授業は、もう少しちゃんと勉強しておかば良かったと思います。たとえば経営のこととか、経理の専門家である必要ではないけれど、お店をやる場合でも他の仕事でも、利益をどうやって出すかとかは、仕事をやる以上必要になるので。あとはパソコンのスキルとかも。
その頃の夢は?
優勝することでした。
私の学年の代は、先輩達にダメだダメだと言われ続けていました。下の学年の方が、むしろ技術的にはうまかった。私達は試合にも出られずに、ベンチで仕事をしているような時もありました。そんなこともあって4年生に上がる時には、同期のチームメイトは半分くらいやめちゃいました。
でも4年生になって、関東学生選手権で、なんと私達の代で初めてニチジョが優勝したんです!それで社会人も含めた全日本選手権に上がって行って、優勝はできなかったけれど決勝まで行って2位になりました。すごくうれしかった。
ダメだダメだと言われ続けた私達の代が、がむしゃらにがんばって最後にはチームを引っ張ってあそこまで行けた。最後まであきらめなかったことで、根性がつきました。そのことは自分にとってすごく大きくて、今でも誇りに思います。
勤務日数や時間について教えてください
店の営業時間は、12時から8時までです。店を閉めたあと、残務処理で9時か10時くらいまでは店にいます。定休日は日曜日ですが、私はチームの練習があるので、土日にお休みをいただいています。通勤時間は40分くらいです。
休日の過ごし方は?
土日は、練習です。平日の夜は帰って寝るだけなので、私の自分の時間は、平日の午前中です。午前中、朝練にいったり、ジムに行ったり、サーフィンに行ったりします。朝練の時は5時半、サーフィンの時は3時半か4時、ジムに行く時は8時に起きています。
ジムは地元の駅前のルネッサンスに週に2~3回は行きます。有酸素と、マシンを使ったサーキットトレーニングをやっています。ジムに行き始めたのはここ2年くらいです。体力的に学生時代のタメもなくなってきているのか、トレーニングをしないと、学生時代と同じだけのパフォーマンスが出せなくなってきていると感じて。ジムに行くことで、やはりからだのキレが違うし太りにくくなりました。
あとは、週に1回ニチジョにコーチで行っています。最近のラクロス界の流れは、コーチ主体になっているので、教えてくれる人が入ると言う意味で、環境としては今の方がいいとは思います。逆に学生は物を考えなくなったような気もします。私達が始めた頃は、コーチがいなかったので、何でも自分達で考えてやっていかなくてはいけなかった。
上林さんにとってスポーツとは?
私にとってのラクロスは、趣味ではなく競技です。でもいつかは、競技選手としてのスポーツは終わりにしなくてはなりません。今年29才になるのですが、私は今のチームで一番年上なんです。34、5でもやっている人もいるので、まだまだいけるという考え方もあります。全体でみたら中堅より少し上くらいだけれど、やはりプレイヤーとしてはチームのコアな年代ではなくなりつつある。技術的には若い子にまだまだ負けないと思うんだけど、今は試合に出られなくても別にいいんです。私のモチベーションは、もはや自分のプレイ云々ではなく、チームがどうやったら勝てるかということ。自分がうまくなることよりも、チームがどうしたら伸びていけるかを常に考えています。
もしこの店に勤めていなかったら、ラクロスをここまで続けていなかったかも知れない。どこかで、簡単にやめていたかもしれない。実際に何回も挫折しかかりました。社会人になってラクロスを続けるということは、週末の練習に命を掛けていて、ラクロス中心に生きているから。1年間、土日のラクロス中心に自分の時間を使って、これだけ一生懸命やってきたのに、日本一になれない。じゃあ、あとは何をすればいいんだろうって。またその一年を来年もまた繰り返すのかと思うと...。去年、私のチームはやっと日本一になれました
ラクロスやめたらスポーツは続けますか?
選手をやめたら、ラクロス界に残るかどうかはわかりません。私は今まで10年以上、全部がどっぷりラクロスでした。ラクロスやめたら、何があるんだろう。どんな人生が見られるんだろう。その期待のほうが今は大きいかもしれません。まるで第2の人生のようです。
スポーツは趣味として別において、仕事だけラクロスでもいいかな。若い子の、ラクロスに対する思い入れがあって、キラキラ楽しいそうなところを見ているのは、好きなんです。長くやってきたので、ここが自分の家みたいな感じで、居やすいのは確かだし。世界が狭いような気もしますけど。
今の夢は?
結婚したいです。親に自分の子どもを見せたい。仕事は、ラクロスじゃない仕事をやってみたい。そうしたほうが世の中を見れるかも。店長は、私が抜けると困るかな...。10年後は、子どもがいて、海の近くに住んで、のんびりサーフィンして、私は近場で働いて、ダンナは働きに行ってというような、普通の生活がしていたいです。
ニチジョ生へのメッセージ
簡単に仕事をやめるなっていいたいです!2、3か月で止めちゃう子がいる。つらい=逃げるんじゃなくて、つらいのを乗り超えれば絶対自分のやりたいことができるようになるのに...。本気になってやろうとしたら、仕事はつらいのはあたりまえだから。その時に続けられるのは、やはり自分の興味があるかないかだと思います。どっかで自分の夢中になれるものがあればやり続けられる。
競技も真剣にやりたかったら、どっぷりつかればいいと思う。そこから気づくもの、見えてくるものがきっとある。とにかくやり通すことです。