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医療・福祉系
介護福祉士

赤平 遥香(2009年度 スポーツ科学専攻卒)

株式会社ベネッセスタイルケア グランダ保土谷・横浜 勤務(ホーム長)


入居者を笑顔にするためにスタッフで対話を重ねる日々。

赤平さんは教員をめざしてニチジョに入学。教職課程の勉強に励みながら、9人制バレーボール部ではマネージャーを務めました。就職活動では様々な可能性に挑戦し、たどり着いたのが介護職。現在はホーム長を任されるまでに成長しています。
<2018.12収録>

ニチジョを選んだきっかけから教えてください

私は高校時代に6人制のバレーボール部に所属していました。当時は、「将来スポーツに関わる仕事がしたい」という思いがあり、トレーナーになるための専門学校に進学しようかと考えたりもしました。転機になったのは、体育大学を卒業して赴任してきた女性の先生との出会いです。先生がバレーボール部の監督となってから、チームがどんどん強くなりました。とても厳しく、「怖い」と感じる場面もありましたが、生徒を思うやさしさも感じさせてくれました。しかも、ケガの予防や対処に関する知識も豊富。的確にアドバイスをくれる頼もしいその先生のように、私も体育の先生になりたいと思いました。

こうして教員免許の取得を目指して体育大学への入学を決意し、受験したのはニチジョだけです。決め手になったのは、水泳の北川先生の存在です。当時の私は泳ぐのが苦手。「溺れているように見える」とすら言われることがあった中で、「誰でも泳げるようにさせます」という北川先生のメッセージに惹かれました。それだけでも「この大学はすごいんだ!」と強い衝撃を受けたことを覚えています。

ただ、親は地元の秋田を離れることを心配する面もありました。そこで親子一緒にオープンキャンパスを訪れると、閑静な立地やキャンパスの雰囲気を知ったことで親も安心。「ここだったら大丈夫」と言ってくれました。

入学後の印象はどうでしたか?

晴れて入学が決まり、初めての寮生活がスタートしました。時間厳守はもちろんのこと、上級生への挨拶の仕方など、集団生活でルールを守り、礼儀を徹底する大切さをあらためて学びました。勉強面では、教職課程はもちろんのこと、苦手な種目も含めて様々な競技を授業で体験できることに驚きました。大変さもありましたが、それぞれのルールを知ることができましたし、レベルの程度はあるとしても、結果的に多くの種目ができるようになりますので、純粋に楽しかったですね。

入学の決め手にもなった水泳は、北川先生の指導のおかげで4年生の時には、泳げるようになりました。北川先生の教え方が上手だったのでしょう。きれいに泳げるようになったのですから。秋田県の教員採用試験では水泳も試験科目に入っているので、バッチリ生かすことができました。それは本当にうれしくて、卒業式の日にあらためて「先生のおかげです」とお礼を言いにいったほどです。

部活動は何をしましたか?

9人制バレーボール部に入りました。高校時代と同じ6人制のバレーボール部に入ろうと思いましたが、残念ながらセレクションで落選してしまいました。9人制バレーボール部には担当教員がおらず、学生がマネージャーとして教員の代わりにチームのまとめ役になります。各学年に必ず1人マネージャーが必要で、誰かがやらなければいけません。誰も立候補しなければ上級生が指名するのですが、ここで私が立候補しました。

高校時代は選手として頑張ってきましたが、トレーナーといった、チームを支える立場にも興味がありました。だからこそ、「それならば私がやるべき」と考えて立候補。選手として頑張っていきたい仲間がマネージャーに指名されてしまうよりも、興味のある私がやるべきだと考えての立候補でした。

マネージャーに決まってからは、テーピングの巻き方やリハビリの方法など、授業で学んだ内容も大いに生かすことができました。選手がケガをしたらリハビリセンターまで付き添うのですが、そこで「選手の命を預かってるんだからね」と言われたことで、責任感をもってマネージャーをやり抜こうと思ったものです。

研究室はどこでしたか?

研究室は、以前学長も務められた高橋先生の研究室に入りました。卒業論文のテーマは、「監督の有無による選手のモチベーションの変化」。監督がおらず、私がマネージャーを務めた9人制バレーボール部と、監督のいる6人制バレーボール部の比較を中心に、両部の部員全員へのアンケート調査などを行いました。

卒業論文ほど長い文章を書いた経験はそれまでなく、アンケート調査や専門文献などの資料探しも初めてのことでした。アンケート調査で相手の思いを聞き出すために試行錯誤して質問項目を考えた当時の経験は、今の仕事で私が担当している「業務改善のための社内スタッフ向けアンケート」など、様々なアンケート類にも活かされている実感があります。

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いまの仕事に行きついた経緯を教えてください

将来を考えて、キャリアセンターには3年生くらいからよく行っていました。当時はリーマンショック後で就職難ともいわれていましたので、早めに対策を始めないといけないという思いは強かったですね。

ただ、教職課程を履修して教員採用試験に向けた努力は続けながらも、実はなかなか将来像が定まらなかった4年間だったというのが正直なところです。何かしらスポーツに関わりたいと考え、スポーツ記者やスポーツカメラマンなど、いくつもの夢が生まれては消える連続。テレビ局でのアシスタントディレクターを考えた時期もありました。

母校での教育実習では、「やっぱり先生って素晴らしい」と素直に感じました。バレーボール部にも足を運び、後輩と対話を重ねる中で、1カ月という短期間でも彼女らの成長を感じることができました。とはいえ授業計画の作成では、自分が得意なバレーボールの授業に向けては楽しく計画できた一方で、苦手なマット運動などでは難しさを感じました。それでも、マット運動が得意な体操競技部の生徒に見本を見せてもらうなどしながら、臨機応変に進め方を考えて実践できたと思います。ニチジョで多様な種目を経験したり、多様な種目の選手と情報交換できたりしたからこそ、自分が手本を見せられない場合も含めた対応の引き出しを増やすことができたのではないかと思います。

でも、テレビなどのマスコミ系は不採用が続き、教員採用試験も不合格...。そんなとき、キャリアセンターから、入居者に介護予防運動を教えるスタッフ職の求人があることを教えてもらいました。その職種には不合格になってしまったのですが、人事の方に「介護職でどうか。介護の方が向いているのではないか」とお声がけをいただいて再エントリーしました。教職課程で介護実習もあったので、介護業界に悪いイメージはありませんでした。お声がけいただいたこと自体がうれしくもありましたし、入居者と楽しくお話をする職種として何の抵抗感もありませんでしたね。面接では部活動でマネージャーとして取り組んだ内容を中心にアピールして内定獲得、卒業直前の2月でした。入社までの短期間でホームヘルパー2級の資格を取得しました。

社会人1年目はどうでしたか?

2週間の本社研修を経て最初に配属されたのは、現在ホーム長を務めているグランダ保土ヶ谷の施設です。ここで3カ月間のOJT研修を行い、その間にひととおりのお手伝いを覚えました。感じたやりがいは、入居者さんの笑顔です。「あなたのおかげ」「あなたがいてくれてよかった」といった入居者さんの言葉は本当にうれしいんです。そのご家族の方に「ここに入ってよかった」と言っていただけるときもあります。大変なこともありますが、「いい仕事に就けた」と思える瞬間です。

その後、経験を重ねるにつれて余裕が持てるようになりましたし、自分がやりたいことをカタチにできるようにもなりました。会社やホームの方針を把握した上で、「これをするのがいい」と考え、行動を起こせるようになったんです。具体的には、入居者向けのアクティビティを担当し、毎日違う内容にしようと決めました。まずはすべて自分で企画をして、自分でその場を仕切れるようにしました。同僚やホーム長も支えてくれました。入居者に「あなたが考えるアクティビティは楽しい」と言ってもらえることでまた喜びを感じ、「次は何をして笑顔にしようかな」と次の企画へのモチベーションにもなりましたね。

しかし、私の考えや行動に不満を感じるスタッフがいたのも確かです。だから私は、そのスタッフと業務を丸ごと交代して、アクティビティを担当してもらう機会をつくりました。そうやって"お膳立て"の大変さを感じてもらうとともに、入居者がケガをしないような配慮の大変さを知ってもらいました。結果的に思いを共有してもらうことができ、そこからは全スタッフが一枚岩に。「明日は何するの」「これやっておこうか」と協力してくれるようになりました。楽しさも大変さもどちらも理解してくれたからこそ、一体感のあるホーム運営につながったのだと思います。

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配置転換などはありましたか?

グランダ保土ヶ谷でまず約4年を過ごし、次に配属されたのは同じ神奈川県内の施設です。オープニングスタッフとして異動になり、サービスリーダーを任されました。そこは、「自立・要支援」でも入れるグランダ保土ヶ谷よりも規模も大きいメディカルホーム。医療的ケアが必要な入居者が多い施設です。原則として「要介護」でなければ入れない施設です。しかもオープニングですので、ゼロからすべてのサービスをつくっていかなければなりません。「グランダ保土ヶ谷と同じようなホームにしたい」と考え、「できる!」とは思っていたものの、現実にはそう簡単ではありませんでした。「入居者さんのために」と思っても難しさに直面。落ち込んだ時期もありましたが、一緒に頑張ろうとスタッフ間で積極的にコミュニケーションを重ねていきました。

ここでの収穫は、オープニングから運営を軌道に乗せたことはもちろんのこと、自分とは違う価値観のスタッフの存在に気づき、その上で対話を重ねながら円滑に業務を進めていくための対応力を磨けたことだと思います。高校時代は、バレーボールを通して同じ目標に向かって進む仲間に囲まれた環境。大学もみんなスポーツが好きという気持ちでつながっていて、だから困難も乗り越えられました。でも、社会に出てみるといろいろな考え方の人がいます。グランダ保土ヶ谷でアクティビティを充実させる際にも感じたことですが、自分とは違う考えの人も尊重しながら、相互理解を進めていく重要性を痛感したんです。だからこそ、考えの溝を埋めようと、みんなとのコミュニケーションを大切にしました。

現在はホーム長なんですよね?

はい、2018年4月にグランダ保土ヶ谷に戻り、現在はホーム長を任されています。大切にしているのは、スタッフみんなが明るく頑張れるように、まずは私自身が明るくポジティブに振る舞うことです。これもひとつのマネジメントだと考えており、自分の思いが伝わり、みんなが明るく過ごせて、仕事ができればと思っています。

またホーム長の業務は、家族との関わりも深くなります。家族がどのような思いで当社のホームに預けてくださるのかを聞く機会が多いので、その内容もスタッフに伝えています。そうやってスタッフみんなで家族の思いに共感しながら、入居者を笑顔にしていきたいんです。

ホーム長という立場上、会社の方向性なども早く知ることができます。スタッフは、様々な指示に流さるように業務を行うのではなく、会社としての方針やその根拠を理解した上で業務に励んだ方がいいはず。だからこそ私が会社の考えをかみ砕いて伝えながら、ここでも共感ベースでのホーム運営を心がけています。

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最後にメッセージをお願いします

学生時代とのつながりという点では、私が卒業論文で取り組んだアンケートをはじめとして、大学で学んだことは十分に生かすことができています。そして何よりもこの仕事は、毎日、顔を合わせて「ありがとう」と言ってもらえます。ホーム長を経てエリアマネージャーになる先輩社員もいますが、とてつもなく大きな日々の喜びとやりがいを感じながら、しばらくは現場で入居者の笑顔に接していたいですね。

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