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薄井 睦美(2006年度・スポーツ科学専攻卒)
■自動車部品メーカー勤務
ここまでぶつかり合う人はいなかった。
薄井さんは、自動車部品メーカーで総務の仕事をやっています。働きだした当初は先輩の厳しい指導にへこみましたが、4年目になった今は仕事にやりがいを感じています。
<2010.09収録>
仕事はどうですか?
勤め始めて4年目になります。やっと慣れてきたというか、自分の業務については自信を持ってできるようになりました。会社は、自動車部品を作っている社員4000人ほどのメーカーです。今は、総務部総務課で、出張旅費や勤怠管理の仕事をしています。勤怠というのは、簡単に言えば、従業員がどれくらい働いたかをチェックする仕事です。
生活指導の先生みたいな仕事?
そこまで厳しくないですけど(笑)。勤怠といっても、別に怠けているのをチェックしているわけではありませんよ。
退出勤時に入り口で社員証をピッとやるじゃないですか。それで時刻がデータに取り込まれるんですけれど、従業員の方がピッとやるのを忘れた場合は、私が代わりにデータに直接打ち込んだり、休日出勤や残業などが、規定に沿って申請されているかを確認したりしています。私のいる栃木の拠点の約1200名の従業員の勤怠管理をしています。
もうひとつの日々の仕事としては、出張など、旅費関連の仕事です。これも1日に50件くらい申請が上がってくるので、きちんと決まりにしたがって精算されているかどうかを確認します。4、5年前までは人の手でやっていたのですが、今はコンピュータが全てを処理していて、出張に行った人が各自の端末で打ち込めば自動的に処理できるようになっています。私は、上がってきたデータをパソコンの画面を見てチェックします。
海外出張の場合、社内規定が複雑なこともあって、既存のシステムではうまく処理しきれないところもあります。そういった場合のフォローをしたり、従業員の方がもっと使いやすくするためにシステムの改良も行っています。
システムの改良は、会社の規程を熟知していないとできないので、私がそのプロジェクトの主担当になり、経理課やシステム課と連携を取ってやっています。その分野では部長からも頼られていて、やりがいを感じます。
メーカー独特の呼び方で、業務に対してかかる時間のことを「工数」と言っていますが、システムの改良も、従業員が使いやすくするのはもちろんですが、「工数」を短縮して無駄をなくすことも目的のひとつです。
ずっと総務畑の仕事を?
いえ。入社して2年間は、新宿にある本社の人事部にいました。会社全体では4000人ほどいるのですが、本社は新宿にあって20名いないくらいの小さなオフィスで、受付に電話がぽつんとおいてあるような隔離された環境でした。
そこでどんな仕事を?
会社の先輩と2人で、新卒の採用担当をやっていました。先輩とはシュウカツの時に出会い、私を人事部に採用していただきました。仕事は、毎週どこかである説明会の準備をしたり、説明会に行ったりというものでした。
また、新卒採用専用のホームページがあって、そこにブログのような記事を載せていました。会社にエントリーしてくれた学生に、普段の仕事以外にどんな行事があるのかお伝えするためのものです。私が入るまでは、先輩が書いていたのですが、記事がすごく柔らかくていい感じでした。私もそれに習って書いてみました。まだ学生に近い気分だったし、柔らかい文章なら得意だったので。
入社早々、大きな仕事をさせてもらいました。ある就職サイトでうちの会社を紹介する動画を作ることになり、シナリオを作ることになったんです。先輩に「先輩と部下のやりとりは、どういうのがいいと思う?」って言われ、私はちょっと物語風にシナリオを書いてみました。
先輩に見せたら、「入ったばかりの新鮮な感覚で、すごくいいと思うよ。」って言ってもらえて、一発でOKになりました。そのまま、私がほぼ主担当みたいな感じでその仕事をやらせていただき、撮影に立ち会って出張に行ったりしました。
楽しそうな仕事ですね。
いろんな拠点に取材に行ったり、新入社員にインタビューして紹介したり、私にとっても発見があって楽しい仕事でした。ほんとに、私が得意なことをそのまま発揮できるような仕事でした。先輩は、ほとんどのことを私にまかせくれ、どちらかというと褒められるほうが多くて、たまに指摘されることも的を射ていて、私も納得できました。
3カ月間そんな感じでしたが、その先輩が転勤してしまいました。もともと決まっていたようで、私が後がまというか、後を託された形になりました。
その先輩と入れ替わりでやって来た先輩は、8歳くらい歳上の女性で帰国子女の優秀で仕事ができる方でした。その先輩の方針で、今までやっていたブログ風の記事は、コンセプトを変えてもっとかっちりした感じでやっていこうとなりました。
それが、私にはすごくやりづらくて、例えば、社内のレクレーションでビニールバレーボール大会というのがあるのですが、「ビニールバレーボール大会とは、当社の何とか委員会が主催する催しで...」みたいな、そんな調子で書いても、楽しさが全然伝わってこないんです。写真の載せ方や色も制限されて、基本的には黒、青文字をちょっといれるだけで、見た目も全然面白くないんですよ。
会社の楽しさを伝えるのが目的のページでは?
「もっと柔らかい調子で書いたほうが、学生は楽しい会社だと思ってくれると思うんですけど。」って言ったのですが、先輩は「柔らかい文章だと今までと変わらないし、あなたの勉強にもならないから、自分を鍛えるっていう意味でもきちんとした文章で書いてください。」と、取り合ってもらえませんでした。
先輩はすべてにきちんとしているのが好きで、しっかりと正しい意見を言われるので、私には言い返す言葉が見つからないんです。私の意見はうまく伝えられず、自分に足りないものだけがクローズアップされるようでした。
今から考えれば、私の不得意なところをやらせようという親心でもあったと思うんですけれど、当時の私は「向こうは硬くて、私は柔らかい。水と油みたいに、私とは全く考え方が違う人なんだ。」と思っていました。そして「そんなにかっちりした文章を書いても、こんなの誰も見ないよ。」って思いながら、無理矢理文章を考えていました。
毎週アップなので、取材して中3日とかで文章を考えて、先輩に見てもらい、厳しくチェックされてダメだしをくらい、何度も手直ししてやっとアップする。その繰り返し。そのうち追いつかなくなってきて、土日もそれに追われるようになり、私は途方にくれました。
ある時、海外拠点の社員が日本に集まって、「カイゼン」の結果発表会がありました。私も取材しに行って、色んな国の人がその土地の言葉でプレゼンをしているのを見ていると、「ほんとにうちの会社はグローバルなんだ。」って実感しました。前夜祭では、言葉が通じないながらもいろんな国の人と語り合って、「やっぱり同じ会社の人だからつながるものがある。」と思いました。
ホームページにそういうことを、私がほんとに感じたことを書きたかったのですが、だめと言われてしまいました。いつもそういう感じで、意見が違って自分がやりたいと思っことは何一つできず、不得意なところばっかりやらされるので、先輩にも当然良く見られないし、最後までいい関係を築けませんでした。
そして3年目に、私は栃木の開発拠点に転勤になりました。
転勤して環境も変わりましたね?
がらっと変わりました。本社と違って従業員が1200名くらいいるし、お客様もすごく多くて、とにかく人がたくさんいるという印象でした。仕事は、人事から総務に変わりました。1年たってやっと慣れてきた頃、本社で一緒だったあの先輩が、私と同じ部署に転勤されてきたんです。
ちょうどその頃、システムの改良をしていて、私はそのプロジェクトの担当者でした。課長が、「本社でも一緒だったから、社内のことを良くわかっている彼女に、サポートでついてもらえばいいんじゃないか?」って言い出して...。私は当時のことが頭によみがえりましたが、結局はその先輩にオブザーバーとして意見をいただく形で、プロジェクトに加わっていただきました。
その時、始めて先輩とちゃんとお話ができたんです。一緒に海外出張関係のマニュアルも何個も作って、「ずいぶん成長したね。自信を持っていろんなことができるようになった。相手への説明の仕方もうまくなったし、ほんとによく頑張ったね。」って、言ってもらえました。
あの時厳しくされたことが、今になって仕事に生きているのがわかりました。文章をすごく厳しく直されたことも、今のマニュアル作りに生きているし、言葉使いを厳しく指摘されたことも、規則を社員にきっちりとした言葉で伝えるというところで役立っている。今となっては、ほんとに感謝です。だから、採用時代のつらい体験のことは忘れられます(笑)。
シュウカツはどんな感じでした?
私はもともとスポーツでというより、むしろ普通にOLとして働きたかったんです。ラクロス部に入っていましたが、先輩を見ていると4年生ぎりぎりまで活動をやっていて、どうも就職できなさそう...。やり始めたことを途中で止めるのは嫌だったんですけど、私の夢はOLになることなので「そんなこと言ってる場合じゃない。」と思い、部活は1年で止めました。
「就職活動をしたい。」と言って部活を止めたので、止めただけの成果は出したかった。だからシュウカツは頑張りました。
母が公務員で、子どもの頃からバリバリ働いている姿を見ていました。自分は公務員試験は自信がなかったので、ある程度の大きさの企業で、できれば上場しているところ、土日休みで長期休みもあって、子供が産まれても産休が取れるところがいいと思い、地元にある自動車メーカーを目指すことにしました。
シ ュウカツフェアで、自動車業界のブースを見ていたら、今の会社の先輩に呼び止められ、「女性で文系なら人事の仕事とかもあるから考えてみない?」って言われました。本命の会社ではありませんでしたが、そことも取引のある部品メーカーでした。
先輩はとても気さくで、話していて私と近いものを感じました。営業職を考えていたんですけど、「こういう人が採用をやるのなら、人事もいいかも知れない。」と思いました。入社したら、ほんとに人事に配属されました。でも先輩は、「私、そんなこと言ったっけ?」って忘れていたらしいですけど。
本命の会社以外にも、選ばずにどんどん受けて行ったので、内定が決まったところはてんでばらばらです。地元にあるデパート、地元の企業、中古社販売、生命保険、旅行会社、コンビニ...。内定をいただいた会社にはほんとに申し訳ないと思っていますが、ここまできたら10社にしたいと思って、今の会社が決まってからも面接が進んでいるところには行き続けていました。
今はどんな雰囲気で働いていますか?
私は今、受付の位置に座っていて、自分の業務をこなしながら、「いらっしゃいませ。」って受付もしています。旅費とか勤怠は、全ての従業員が関わってくるところなので、社員の皆さんと話すことが多いんですね。私に聞けばわかると、何かあると頼りにされて私のところに来てくれるのが嬉しいんです。
部長が、大事なことを全社に説明する時、各地の拠点を結んでテレビ会議をします。ビデオカメラに向かって喋っていても反応がないし、「大丈夫ですか?」って聞いても「しーん」として誰も答えてくれないので、そんな時は私に向かって、「薄井、お前はわかるか?」って聞くんです。私が「はい、わかります。」って言うと、「薄井がわかるなら、みんな大丈夫ですね。」って言う。
そういう時に私をネタに使って場を盛り上げようとしているんです。いいんだか、悪いんだかわからないですけど、私のキャラをうまく使ってもらっています。でも、実際の仕事になれば全面的に私にまかせてくれるので、信頼されていると感じます。
私が会議の席でシステム改良の必要性を言っても、「それは優先順位が低い。」と後まわしにされていました。それを知った部長は、テレビ会議の時に「なぜ早く改良しないんだ。」って私を怒りました。会議が終わった後で、「ごめんな。お前を怒れば、みんなかわいそうだと思って動き出すから、わざとみんなの前で怒ったんだ。」と、そういうこともちゃんと言ってくれます。
体育大出身ということについてはどうですか?
体育大卒で損だと思ったことはないし、逆に自分の大学には自信があります。みんなと全然違うので、比べられないところも良かったと思います。
昨日、ビニールバレーボール大会に参加しました。参加したくはなかったんですが、「何のために体育大学出ているんだ。」と言う課長命令で、他の課の人にも熱烈なコールをいただいて...。8人制で、必ず女性が2人入らなきゃいけないんです。練習も全然できていないのですが、試合が始まったらやっぱり血が騒ぐというか、マジでやっている自分がいました(笑)。
今は行われていないのですが、入社1年目の時に駅伝に参加したことがあります。関連会社の工場の敷地で、私は花の1区を走らせていただきました。社長に「体育大で1区なんだから頑張って。」って言われて、全力疾走で走ったけれどタイムはそんなに良くなく、「次は頑張ってね。」って言われました。
その社長が定年で退職される時、挨拶に行ったらその時のことをまだ覚えていて、「マラソン頑張れよ。今度は絶対早く走れよ」と言ってくださいました。
これからの夢は?
できれば総務の仕事をずっと続けたいと思います。従業員の声を聞いて、実務レベルで社内を良くするような仕事をしていきたい。今は旅費や勤怠の仕事ですが、他にも安全衛生とか社宅管理とか色々体験して、なんでも答えられる総務のプロになるのが目標です。
将来的には、社内規程を変えていけるような立場で仕事をやっていきたい。今はまだ能力も足りないので、あと10年くらいしたらですね。私は定年まで働きたいです。そのつもりで今の会社に入ったので、子どもを生んでもずっと働いていくつもりです。
つらかった時も、やめようとは一度も思わなかったんですよ。だからよけい苦しかった。どれだけつらくても、やめるという選択肢がないので逃げ場がないから。「これ以上の会社には私は入れない。」「ここから逃すわけにはいかない。どんなことをしてでも食らいついていかなければ。」と思っていました。
総務になって、会社の全体的なしくみ、どこがどんなことをやっているとか、どんな人がいるとか良くわかったので、今だったら採用の仕事も、もっとうまくできると思うんです。前は自分のカラーからはずれた途端に、できなくなっちゃっていましたけれど。
あのつらい経験が自分を成長させてくれたのかな。先輩は、ここまでぶつかりあう人もいないっていう感じの人でした。たぶん人生のなかでなかなか出会う人ではないと思うんですよね。今となっては、それも貴重な体験だと思っています。
ニチジョ生にアドバイスを。
いくらスポーツが好きでも、いつかは離れなくてはいけなくなるじゃないですか。だから今よりも、これからの生活のことを考えて仕事を選んでもらいたいと思います。いつまで仕事をしたいとか、自分のライフプランを考えて仕事を選んだ方がいい。
やりたいことというよりも、土日もしっかり休めるとか、自分のいちばんベストな生活を考えて仕事を選ぶのがいいかなと思います。それがいちばん仕事を長く続けられると、私は思っています。
たとえば、もし彼がいたとして、スポーツがなかったら、好きな彼と一緒にいたいっていう気持ちが優先されると思うんですね。一緒にいられる時間を作るためには、スポーツじゃなく一般企業で土日休みのところのほうがいいじゃないですか。不純ですか(笑)?
生活を大事にしようってことだよね。
そう、生活を重視して欲しい。私、見かけによらず安定志向なんですよ。