資格・就職
- 公務員系
- 陸上自衛隊 航空管制官
米村 冴子(2007年 健康スポーツ学専攻卒)
■陸上自衛隊 立川駐屯地 勤務 東部方面管制気象隊基地隊 航空管制官 2等陸曹
空の安全を守る管制官の国家資格を取得! 働きやすさも視界良好!
米村さんは、一般企業から内定を獲得する一方で、「任期制隊員」という募集枠で自衛隊を受験し合格。入隊後は、昇任試験や選抜試験をひとつずつクリアしながらキャリアアップを重ね、国家資格である航空管制官の資格を取得して活躍しています。
<2019.06収録>
現在のお仕事内容を教えてください。
陸上自衛隊の立川駐屯地で航空管制官をしています。仕事内容は、飛行場を中心とする管制圏内のすべての航空機と連絡を取り合いながら、航空機の安全かつ円滑な運航を行うために航空交通の指示や情報を航空機に与え、飛行場に安全に離着陸させることです。立川飛行場での離発着の誘導のほか、管制圏内に入ろうとする航空機に通過許可を出すなど、すべての指示を英語で行います。また、周辺の空域を飛ぶ航空機には、どこにどのような航空機が飛んでいるかといった情報提供なども行います。どれもパイロットに安心感を与え、安全・円滑・効率的に飛行や離発着をさせることが目的です。管制官は人の命を預かる仕事。緊張感と共に大きなやりがいがあります。
周辺には厚木や入間、横田に自衛隊や米軍の航空基地があり、調布には民間の飛行場もあります。ですから自衛隊の航空機以外にも、米軍機や民間の航空機と交信することもあります。
自衛隊の航空機はニュースなどでよく目にします。
関東で発生する地震や山火事、水害などの自然災害時には、立川駐屯地から航空機やヘリコプターが飛び立ちます。ニュース映像で「陸上自衛隊提供」と表示されることがありますが、その映像はここ立川駐屯地から飛び立った航空機が撮影しており、自分が離陸させた航空機がTVに映っているのを見るとやりがいを感じます。
また、首都直下型地震などを想定した訓練もしています。災害派遣時には、空港のない場所でも航空機の離発着や航空管制ができるよう、管制機材を載せた大型車両で現地に行き、管制を行う可能性もあります。ですから入隊後はすぐに大型免許も取得し、様々な事態に対応できるようにしています。
ほかにも、2020年の東京オリンピック・パラリンピック期間中は航空機の運航が増えると予想されるので、管制業務には細心の注意が必要になります。空の安全を守ることで間接的にでもオリンピックの成功に貢献したいと思っています。
管制業務の1日の流れを教えてください。
朝は、その日の気象状況や飛行予定などを隊員で共有するブリーフィングから始まります。そして、予備を含めた機材の点検、交信用の周波数のチェック、アルコールチェックなどを行い、8時30分に管制のシンボルというべき"タワー"での業務がスタートします。そこから17時まで勤務し、365日運用しています。
通常は、管制上の指示を出す隊員と、近隣の飛行場との電話調整をする隊員、全体を統括する隊員の3名体制です。その後、お昼を境に隣接する立川着陸誘導管制所に設けられたレーダー室での業務と入れ替えになります。こちらも運用主任、着陸誘導、捜索管制という3名体制です。タワーでは、空の状況を目視して航空機に指示を出すため、かつて管制官になる前に就いていた気象観測の経験も生かされています。1日何事もなく終わると大きな安堵感があります。
日頃から心がけていることはありますか。
意識しているのは、「クルーコーディネーション」です。後輩の指導も担当することから、隊員の心理を考慮した指導など、監督者としての素養を磨く教育も受けたりしています。この教育では相手の心理状態を把握した上で何をすべきか、隊員の様子で気になる部分があったらどうフォローして、どのように業務を円滑に進めるべきかを学ぶことができました。
現場で指導しすぎると隊員が萎縮してしまい、航空機への指示が不十分になる可能性もあります。管制はパイロットや乗員の命に係わる業務だからこそ、現場での適切な指導方法を身につけていきたいのです。現状で日常的に気をつけているのは、声かけの徹底ですね。
入隊後に関わってきた業務を教えてください。
まず大学3年次に、自衛隊入隊前のインターンと考え、「予備自衛官補」という募集枠で入隊しました。「予備自衛官補」は2年という任期が決まっていて、一般教養や論文などが課される昇任試験に合格しなければ、最大6年で自衛隊でのキャリアは終わってしまいます。そのため大学4年次には、選抜試験によりさらなるキャリアップが目指せる「任期制隊員」(現在の「自衛官候補生」)という募集枠で2007年4月に入隊しました。この募集枠は、高校を卒業して入隊する隊員が多いため、入隊当時は"年下の先輩"ばかり。当然ながら私は経験もないので何をしても負けてしまい、先輩に怒られる日々でした。それが悔しくて悔しくて、「絶対に負けたくない!」と努力しましたね。
当時はまず、埼玉県の朝霞駐屯地で3カ月間、「新隊員教育」を受けました。そこに教官として来たパイロットの先輩隊員と話ができたことで、航空科への思いが芽生えました。その後2カ月間は、現在と同じ立川駐屯地で教育を受け、最初の配属は群馬県の相馬原駐屯地でした。ここで管制気象隊員となり、航空機の運航に不可欠な気象観測業務に約4年間従事しました。気象観測では、視界の状況を表す「視程」や、雲の高さを意味する「雲底」、そして降水状況や気温、気圧など、航空機の運航や航空管制の判断材料となる情報を収集します。この業務を通じて管制官への憧れが大きくなり、航空管制員選抜試験に挑戦しようと決意しました。
1次試験は「英語・国語・数学・理科・社会」の5教科と、自衛隊に関する知識です。学生時代では赤点レベルだった英語も猛勉強しました。その甲斐あって1次試験を通過し、2次試験での身体検査、体力測定、面接を経て合格。その後、愛知県の航空自衛隊小牧基地にある教育施設で、1年間にわたって講義・実習・試験の管制教育を受けました。このプログラムを修了して管制官としての仮免許が交付され、2012年に管制員として立川駐屯地に配置になりました。ここからさらに1年間の現場での研修訓練があり、最終試験を経て管制官になったんです。入隊時の「予備自衛官補」から管制官にまでキャリアアップできたことを、「ドリームストーリー」と言ってくれる方もいますね。
どのようなモチベーションでがんばれたのですか。
ずっと管制官という目標に向けて努力を重ねてきたというよりも、その時々の任務に応じてやりがいを感じ、使命感も高まっていったおかげで、気負いすぎることなく自然体でがんばり続けてこられたのだと感じています。実は、救急救命士の資格を取得したいと考えて自衛隊を選んだのですが、管制官という新たな目標を見つけられたことは幸運でした。
原動力を挙げるとしたら、風通しのいい環境で、隊員同士の仲がいいからこそ、早く一人前になってみんなのチカラになりたい、先輩に追い付いて恩返ししたいという気持ちになれたことです。そう思わせてくれるたくさんの先輩方との出会いに恵まれました。
また、職種の選択肢が多く、個人の希望を考慮してくれる自衛隊の環境も背中を押してくれました。自衛隊では、管制官に限らず、意欲があれば看護師やパイロット、通訳にだってなれます。航空自衛隊なら政府専用機のCA(キャビンアテンダント)になることだって夢ではありません。それぞれに昇任試験や選抜試験はありますが、自衛隊には挙げればきりがないほど様々な職種があります。希望や努力次第でいくらでも道を切り拓いていける環境なんです。
自衛隊の奥深さを感じます。 女性が活躍できるチャンスも多そうですね。
自衛隊の実情は、とても風通しがよく自由です。女性が働きやすい環境の整備も進んでいます。保育園のある駐屯地もあり、女性は増加傾向にあります。産前産後休暇や育児休暇の制度も充実していて、女性がイキイキとノビノビと活躍できるんです。「公務員」ですので、国が定めた制度に従って福利厚生が充実しています。
ちなみに、現在の自衛隊全体の女性比率は6.5%で、私が所属している陸上自衛隊では、2050年までに女性比率を14%まで高める目標を掲げています。さらに、立川駐屯地に25名いる管制官のうち、11名は女性です。子育て中のママさん管制官も複数います。365日運用の飛行場のため土日勤務もありますが、調整すれば休みたいときに休むこともできます。長期休暇も取得しやすくて、私は毎年のように海外旅行を楽しんでいます。「自衛隊は男性ばかりで体力必須、きついしオシャレもできない」とも思われがちですが、勤務時間外のプライベートなら、もちろんいくらでもオシャレできます。
体力面でも、ニチジョ生なら何も問題ないはず。ニチジョで学んだことが生かされる場面も少なくありません。私自身、けがをした際のアイシングやテーピングなどの処置、熱中症の対処方法など、大学で学んだことが今でも生かされています。また、在学中に教員免許を取得し、アルバイトでインストラクターの経験を積んだことが、現在の後輩指導にも役立っています。ですから、体育会系でリーダーシップを発揮できる学生や、明るく親身に後輩の面倒を見る学生、教職課程を履修して指導力を磨いている学生、チームの中で責任感を持って活発に行動できる学生には、ぜひ自衛隊を検討してもらいたいです。ニチジョ生には努力家が多いですし、自衛官にぴったりだと思います。
米村さんはどんな学生生活を送っていましたか。
自衛隊だけに絞って将来設計をしていたわけではなく、3年生の夏ごろから一般企業に入るための就職活動も進めました。世間では就職氷河期と呼ばれる時期に入学したため、キャリアセンターを積極的に利用しました。学内で行われる合同企業説明会などでは、学生スタッフとしても活動しましたね。興味を持って勉強したのは栄養学で、その知識を生かせそうな企業などから内定をいただくこともできました。
一方、ゼミではスポーツ医学を勉強しました。そこからけがの手当てのほか、人命救助に携わる仕事への興味が生まれ、救急救命士を目指す気持ちが大きくなっていったんです。そうなると選択肢はニチジョ卒業後に学校に入りなおすか、働きながら資格を取得できる消防官や自衛隊を目指すか。そんなとき、自衛隊のホームページから救急救命士の資格取得ができることを知り、地元協力事務所の方から親身かつ丁寧に説明をしていただき、在学中に予備自衛官補の試験、入隊を経て任期制隊員として入隊したんです。すると、偶然にも同じ研究室だった仲間も入隊していて、数年前までは職場も同じで仲良くしていました。ほかにもニチジョの先輩、同期、後輩は何人も自衛隊で活躍していて、多くの方が10年以上勤務しています。それだけ居心地がいいということです。
最後に、今後の目標を聞かせてください
担当する業務範囲に限界を設けることなく、新たなチャレンジを続けていきたいと考えています。そのひとつが、自衛隊が作成する報告文書の管理業務。文書管理の厳格なしくみを構築しながら、実際に管理を徹底させるための教育にも力を注いでいきたいと思っています。
そのほかにも、時代に応じて自衛隊の役割や任務は変わっていくものです。だからこそ日々勉強、ずっと勉強です。職種や階級に応じた研修プログラムでスキルを高め、管制官としての任務を遂行しながら、ひとりの自衛官、そしてひとりの社会人として見聞を広めていきたいと思っています。