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渡辺 由紀(1997年度・スポーツ専門コース卒)
■自動車販売会社
たまたまついた仕事が好きなことに変わることもある。
渡辺さんは、自動車メーカーの系列ディーラーで働いています。働きながら結婚して子どもを2人出産しました。子どもを育てながら働き続けるには、色々な障害を乗り越えていかなければならなかったようです。今回は、女性と仕事について聞いてみました。
<2008.12収録>
今の仕事について簡単に教えてください。
私は今、人事部にいて、ポジティブアクショングループというところで働いています。「ポジティブアクション」って聞いたことありますか?ニチジョ生なら、シュウカツ中に耳にすることがあるかも知れません。たとえば営業職などは、一般的にすごく男性が強いじゃないですか。あと課長以上の管理職って、圧倒的に女性より男性が多いんです。
そういった現状、男女間の格差を解消しようと、企業が積極的におこなう取り組みのことを「ポジティブアクション」と言っています。私はそのポジティブアクショングループで、女性リーダーのもと、3人の女性同僚と一緒に活動しています。
具体的にはどんなことをやっているのですか?
たとえば先日、女性の営業社員が妊娠をしました。本人には、仕事を続けたいという気持ちが強くありましたので、営業職をやめることなく出産して育児休暇を取りました。そうするとそのポストに空きができますね。そこに、本部から代打のスタッフを派遣します。そして彼女が仕事に復帰できるまで、顧客対応などのフォローをします。私たちも、復帰後も問題なく仕事に戻れるようにケアしていきます。
クルマ業界はどちらかと言えば男性色が強い業界です。うちの会社も、各店舗に女性社員は通常1~2名しかいません。だから、仕事上の悩みがあってもそれを共有できなくて孤独になってしまう場合があります。そこで、女性社員同士の交流会を実施して、横のつながりを持ってもらいます。交流会で出てきた職場の問題点などは、私たちのグループで早期に解決を目指します。女性のスキルアップや研修などの支援もおこなっています。
女性にとっては頼りになる部署ですね。
会社によっても様々だと思いますが、女性が自由に発言したり行動することにはまだまだ締め付けがあるって思います。そういうことを改善するのも私たちの仕事です。女性もだんだん強くはなってきてると思うんですけど、まわりの環境とか男性の考え方も理解しなくては、やっぱり女性が働き続けるということは困難です。私自身もそういう経験をしてきましたから。
学生時代はどんな就職活動をしましたか?
私が就職したのは今から11年前の1998年です。私はニチジョの短大だったので、1年生の終わりくらいから将来の方向性を考えなくてはいけませんでした。就職課(現在のキャリアセンター)で、求人広告を見たりしながら、自分に合う職業って何だろうって思っていました。
自分は人と話すのが好き、子どもが好きということで、漠然と接客業や子ども関係の仕事を考えました。スポーツ系の仕事、例えばジムのインストラクターなどは、色々な種目をこなさなくてはならないので、今ひとつ自信がありませんでした。そこで最初は幼稚園の体育教師を考えまして、幼稚園に見学に行ったりもしていました。
ただ、幼稚園の体育教師の採用試験は、2年生の11、12月なので、もしそこで落ちたら卒業まで残り3か月で、他の仕事を見つけられるかどうか不安でした。2年生の春になると、大手の企業はすでに内定者を決めてしまって、残りの枠もないという状態になっていました。
厳しい状況だったのですね。
当時はバブル経済が崩壊した後にやって来た、就職氷河期の真っ最中でした。一般企業もシュウカツしようと思い、リクルートスーツを買いに行きました。でも色々見ていたら「なんかリクルートスーツって、ツブシがきかないスーツだな。」って思えてきて、おしゃれで格好いい普通のスーツを買ってしまいました。髪型は、当時はやっていたスパイラルパーマっていうクルクルのスタイルで、「束ねていけばいいや。」って思い、そんな格好で面接に行き始めました。
面接担当の方には、「うちはおじさんの会社だから、そういう格好はちょっとな...。注意されるけど、大丈夫?」って聞かれてしまいました。みなさんには、絶対勧められないです(笑)。そんな頃、ある求人広告が目につきました。最初はペットの会社かと思いましたが、事業内容を見るとクルマを販売している会社でした。
父に訊いたらかなり大きな会社らしいので、無理かなとは思いましたがチャレンジ精神で受けてみました。そうしたらなんと内定をいただきました。他にも、子供服の販売会社などで内定をいただけました。
その中からどうやって決めたの?
最初は子供服の会社に惹かれました。人と話すのが好き、子どもが好きだから、子供服の販売は私にぴったりだと思いました。もう4回くらい面接を受けていて、最後の役員面接の時に私は、「この会社に入ると、私、10年後に何をしているでしょうか?」ってお聞きしました。そうしたら役員の方がきっぱり、「それは店長です。」っておっしゃいました。
私はそこで「10年後に店長って決まっているなら、なんか面白くないじゃん...。」って思っちゃったんです。それで、どうせなら自分と一番かけ離れている業界、未知の世界でやってみようと思い、自動車販売会社に決めました。
最初はどういう仕事をしましたか?
都内のお店に配属されて、お客様がクルマを点検整備に入れる時に接客をする「サービスアドバイザー」という仕事をしました。先輩に「クルマを売ることはすごくむずかしいんだゾ。」って言われて、「そんなにむずかしいなら、じゃあ私もやってみたい。」って思いました。そして、当時の上司に「新車販売の営業に変えてください。」と直訴をしました。
そうしたら上司は「まあ、あと1、2年は今の職場で勉強したら。」って言いました。「サービスアドバイザー」っていうのは、お客様のクルマの調子が悪いとかそういった場合に対応するので、クルマの構造なども勉強しなくちゃいけないんです。私はそれまでエンジンルームなんて開けたこともありませんでした。上司が言うには、クルマの構造がわかっていると営業もやりやすいから、そこでしばらくやってからの方がいいっていうことでした。
でも、私はやりたいと思ったらすぐやりたい性分なので「営業、やりたいんです。やりたいんです。」って言い続けました。上司はとうとう根負けして「じゃ、とりあえず変えてはやる。ただし3か月で実績が出なかったら、サービスアドバイザーに戻すからな。」って言ってくれました。負けず嫌いの私は「戻されるくらいだったら、やめる覚悟でやります。」って答えました。
営業、やってみてどうでした?
上司の前では強がりながらも、先輩には「わざわざこの厳しい時に営業にくることもないのに。」って言われて、私はけっこう不安になっていました。でもベテランの営業の方が「営業っていうのは、ホントに好きな人がやれば一番いいんだよ。」って言ってくれて、それですごく救われたことを覚えています。
私のお店は、おもに50~60代の男性のお客様、それもお金持ちの社長さんや役員さんが多かったんです。最初に困ったのは、会話が成り立たないことでした。ご来店されると、1時間くらいはお話するんですけど、私は20歳そこそこで話題もなく、株の話にもゴルフの話にもついていけません。最初は、笑ってごまかしていたんですが、そのうちそれもきかなくなり...。営業が好きなはずなのに、他人と話をするのがすごく苦痛でした。
外回りしていても、お客様に1度や2度お会いしたくらいでは、名前は覚えてもらえないんです。だからお客様には「名前は覚えなくてもいいですから、女性の営業って覚えておいてください。女性の営業って言えば、この辺ではいませんから。」って、自分のことをアピールしていました。当時は、他のディーラーでも女性の営業は少なかったんです。
他のメーカーとの価格競争もあったりして、仕事は確かに大変でした。初めて1号車が売れた時は、心の底から嬉しくて、2階の事務所に駆け上がっていき、「買っていただけましたー!」と報告すると、上司に「落ち着け。」と言われてしまいました。1号車の記念に、実績ボードに花を添えて私はその横に立ち、写真を撮ってもらいました。そのお客様とは今でもおつきあいがあります。
そうしたら、その後もトントン拍子にクルマが売れてしまったんです。営業1年生の時は、成績も同期の中でトップになり、ご褒美に海外旅行をいただきました。やっぱり販売会社なので、多く販売した人には待遇がいいんですよ。
順調な滑り出しですね。
ところが2年目に、さぼり癖がついちゃったんです。「こんなに簡単に売れるんなら面白くないな。営業ってこんなもんなんだ。」って。慢心したというやつですね。そうしたら、さぼった分だけやっぱり結果に出て、今度はさっぱりダメになってしまいました。スポーツで、ジャンプを1センチ上げるとか、コンマ1秒早く走るっていうことにどれだけの努力が必要かっていうのと一緒で、私も社会人になって、改めて日々の努力が大事なんだって実感しました。
入社4年目くらいの時、今のダンナと出会いました。彼も体育会系で体育大卒でした。同じ営業部だったのですが、つきあっている頃はデート(と言っても飲み屋ですが)で、仕事の話をして盛り上がっていました。ダンナとは、今も家で晩酌をしながら仕事の話をしています。
26歳の時に「できちゃった結婚」をしました。今は「授かり婚」って言うんですか?私は妊娠したから仕事をやめようとは全然考えていなかったのですが、上司は最初、私が育児休暇を取ったら、もう戻ってこないと思っていたみたいです。休暇中は、雇用保険から給付金が支給されたんですけど、当時はそれをもらって復帰しないケースが多かったんです。
仕事を続けようと思った理由は?
営業を始めた頃、お客様に「女性は結婚するとやめちゃうから、男性の営業に変えてくれ。」って言われたことがありました。私はその時は結婚なんて考えていなかったし、もちろん売りたいっていうこともあり、「絶対にそんなことはありませんっ!」って言いました。
自分はその時、結婚とか出産とかいう理由ではぜったい仕事をやめないって決めました。だから上司にも「お客さんと約束しているので、復帰しても営業を続けたい。」ってお願いしました。そうしたら「じゃあ一緒にがんばってみよう。協力するよ。」って言ってくれました。
出産して育児休暇をいただき、休暇中も子どもを抱っこしながらお客様に電話をしたり、お客様も私の携帯に電話をかけてくれたりしていました。お店のスタッフが対応してくれてはいるのですが、それでも、私が会社にいないことでお客様が困ることがありました。スタッフも自分以外の仕事は、お給料にも反映しないしやりたくないはず...。
やっぱり自分は職場に迷惑をかけていると思い、仕事も心配になりまして、1年の育児休暇を6ヶ月で返上して、職場に復帰しました。
育児と仕事を両方やったのですか?
その頃の保育園の送り迎えは、近くに住んでいる母に頼んでいました。母はお座りもままならない6か月の子を迎えに行って、私や家族のために夕食を作って待っていてくれました。お風呂も、父が入れてくれました。私は帰ると、子どもは眠いんですけど遊んでしまって夜遅くなり、次の日も眠い状態で保育園に通わせていることもありました。
基本の就業時間は9時から6時までですが、お客様がご自宅に帰ってからが、私たち営業の時間というか仕事の本番で、お電話で「おクルマの調子はどうですか?」っていう話からはいり、そして最終的には売りたいんです。だから、どうしても帰りは9時から10時くらいになります。
子どもが40度の熱を出しても、お客様商売なので「帰ります」とは言えないんですよ。健康保険証も親に預けるようになりました。さすがに親に怒られて反省をしました。お客様やスタッフに迷惑をかけたくなくて職場復帰したのに、今度は親に迷惑をかけっぱなしでした。
あの頃感じたのは、お客様は優しかったということでした。夜遅くに電話をしたり訪問したりすると「もういいから早く帰りなさい。」とか、お菓子をくれたりとか。この業界、日曜日はホントは休めないんですけど「ママなんだから、日曜は休みなさい。」って言って用件を他の日にずらしてくれたりとか...。
2人目の子どもは?
それから3年後、第2子を妊娠しました。お客様も同僚も慣れたのか、「今回も6カ月くらい休むんだ。」とか、「無理しないでいいよ。」とか言ってくれたりしました。ただ前と違っていたのは、上司が変わったことでした。
新しい上司に「妊娠したんです。」っていう報告をした時、上司の顔はこわばって絶句し、そしてパニックになっちゃったんです。3日後に、ようやく落ち着いて話せる時間がとれて、上司に「正直、子どもを2人抱えて、営業させる余裕はうちにはない。」って言われました。
お客様や周りのスタッフにも迷惑をかけたくない、そんなようなことを言われ、最後は営業を降りてくださいと言われました。上司の考え方が違うと、女性の出産に対してこんなに対応が変わるんだなって思いました。
どうしようと思いましたか?
私はまさか営業をおりろと言われるとは、思ってもいなかったので動揺しました。男性よりも売っていた時もあるし、土日に休んだって、夜早く帰ったって、販売実績をあげているからいいじゃないって思ったり...。
でも、なぜか子どもを産むと、自分でもわからないけど「会社に働かせてもらっている。」という意識に変わるんです。1人目の時も気を遣いましたが、やっぱり周りに迷惑はかけてしまった。だから、何となく強く言えなくなってしまい、結局は事務職になることをお受けしました。
2回目の育児休暇ですね。
今回は1年間フルに休みました。事務仕事は向いてないって思っていましたから、事務職になってまで会社に残る意味があるのかとも思いました。そしてこれからどうするかゆっくり考えようと思いました。旦那とも話し合って(休暇中にこんなことやってはいけないのかも知れませんが)整体師の学校に通って資格を取ることにました。
1年間通って整体師の資格は取りましたが、お客様には私が営業を降りたことを話していませんでした。だからとりあえず職場復帰して、あいさつだけはしていこうと思いました。
ところが、今年の4月1日が復帰予定日だったのですが、その1週間前に人事部から電話があって、本社に異動してくださいと言われました。私は「お客さんにもちゃんと挨拶できてないので、その話お断りしてもいいですか?」って言ったのですが、会社はそんなに甘くはなくて、異動はすでに決定されていました。
今の部署に移ってどうですか?
良く聞いてみたら、私が経験したようなことで女性が悩まないように職場環境を改善する部署らしく、自分の体験も活かせるということでした。
今は相談される立場になりまして、営業1、2年生の女性から、「売れなくて困っているんです。向いてないんでしょうか。」っていう相談を受けたりしています。私は「とにかく今は売れなくていい。」って言います。最初から簡単に売れちゃうと、私のようにサボリ癖がついちゃいますからね。
クルマは、お店に買いに来てもすぐ乗っては帰れないでしょう。ご注文をいただいてから納車されるまで、だいたい1カ月くらいかかります。いろんな書類が必要になるし、そういうことも理解しながら売らなくてはいけません。とりあえず、今はクルマが売れなくてもいいから、顔を売ってくればいいって言っています。
ご存知の通り、車業界も結構厳しいです。今年は消費者の買い控えや、メーカーの期間従業員の解雇など色々ありました。成績が悪いとどうしてもメンタル的に落ち込んだりすることもあります。そういう時は、電話でケアをしています。ちょっとした営業のノウハウなど、こういう風にやればうまくいくよって教えたり。
感謝されることも多く、その点ではすごくやりがいがあります。女性が仕事を続けられるようにするのが、私たちの仕事だと思っています。大きい組織を動かすっていうのは大変なことで、ほんとにむずかしいんですけどね。でも実は、お給料はぐーんと下がりました。年間で、ウン百万単位で。経済的には厳しいです(笑)。
女性の営業についてどう思いますか?
女性の営業はある意味で得だと思いますよ。男性と違って、きめ細やかな営業もできますし、変な話、ちょっとミスをしたとしても、男性のお客様なら許してくれたりね。そういうところはどんどん女性らしさを使いなさいって言います。ここは男、ここは女とか思いながら、私もやっていました。
営業はある意味実力主義なので、入社1、2年生の人でも、ベテランの営業より高い給料をもらえるようなシステムを取っています。女性で営業、そして給料システムが不安定となると、「結婚してもずっと続けられるのか?」って不安になることもあるようです。そんな時は、私が出向いて自分の体験も交えてお話したりします。
学生時代のことを教えてください。
高校は二階堂高校で、ニチジョは短期大学でした。チュニックという制服を知っていますか。トクヨ像がありますが、あのトクヨ先生が着ているそのままの服です。ワンピースタイプで胸の上をひもで縛るんですけど、短大の卒業式にもそのチュニックを着て出ました。袴にあこがれていました。
二階堂高校では、3年間バレーボール部をやりました。高校の部活は厳しくて、買い食いとか、ほんとにちょっとの事が夢でした。部活をやっていない子に、「帰りにパフェ食べて行こうよ。」って誘われても、「だめだめだめ。」って断っていました。休日に隠れて遊んでいるのが見つかるとすごく怒られて、もう怖くて怖くて。部活が休みの日は、完全に体を休める日か、または通院するための日って言われているくらいでした。
高校でほんとに倒れるくらい部活をやったので、大学はキャンパスライフを楽しみたいと思い、スポーツ推薦ではなく一般入試で入りました。専攻は、スポーツ専門コースでした。何もしばりがない生活を望んで短大に入ったものの、部活をやらないと暇で暇で、気がおかしくなりそうでした。
だからアルバイトに精を出しました。でもいざやってみると案外飽きるんです。1つやっては「たいしたことないじゃん。他に面白いことないかなあ。」って感じで色んなバイトをしまくりました。こんなことなら部活やっておけば良かったってちょっと後悔しましたね。
どんなアルバイトをやったの?
コンビニ、ゴルフ場の受付、スーパーの試食、飲み屋、八百屋...。八百屋と言っても、市場みたいなところで値段が毎日変わるんです。ナスやキャベツが、昨日は170円だったのに今日は150円になって、レジなんかないので暗算しろって言われて、頭が筋肉の私は、数字が3桁以上になるとパニックになって1週間でやめました。
あと、大手の引っ越し屋さん。面接に行った時に「女性は梱包ですから、食器とかくるんで箱に詰めてくださいね。」って言われたんですが、実際に始めてみると、私の体型が気にいられたのか、2日目には男の人と一緒に、4階・エレベーターなしのマンションを行ったり来たりして荷物運びをやらされていました。
玄関マットの営業っていうのもやりました。サンプルを家に置かせてもらって、2週間後に社員が行って契約を取ってくるんです。引っ越しほど体力も使わず、お給料も良かった。朝サンプルを20個渡されて、お昼くらいには終わっちゃいました。会社に戻るとまたサンプルを20個渡されて、もう一回行って来いって言われました。
なのに、20個もやっていない人とお給料は同じなんです。そんな馬鹿なと思って、それからは終わったら土手で昼寝をして帰るようにしました。その時に、知らない人と話すことへの恐怖心がなくなったような気がします。営業って自分に向いているかもと思いました。
これからの夢は?
また営業職に戻ってみたいです。まだ子供が小さいので周りにも迷惑をかけますし、今の段階では難しいかもしれませんが。今度は、今の仕事の経験も活かして、また1から専念してみたいと思っています。スポーツもやってみたい。ようやくゴルフを始めたところですが、ヨガとかもやってみたい。アレもコレもやってみたいって、興味があることはたくさんあります。
夢って、その時々で変わるじゃないですか。こう言ったら変ですけど、私はこの仕事について、結局なんかやめられなくなっちゃった。仕事が面白いし、後輩に対しての責任も出てきて、よほどこれ以上面白いものが見つからないとやめられないと思います。私のように、ほんとに好きなこととか夢とは全く関係なく、たまたまついた仕事が好きなことに変わることもあるんだなと思います。
学生の時は、私も焦っていたなと思います。求人票とか色々見て、焦って見ていてもしょうがないんだけど、そのときはホントにわからなくて、グチャグチャになっちゃって。学生の間は、夢はなんだろうって探しまくりましたが、今は、それをゆっくり考えていこうと思っています。
ストレスはどうやって解消していますか?
子どもを産んでからは、1人になる時間が欲しくて、焼肉ランチとかお寿司ランチに1人で行きます。スーパー銭湯も好きで、昼間からビール飲んで1人でボーッとしています。ちょっと暗いですか(笑)。
会社には私の下に9名のニチジョOGがいます。最近、彼女たちとニチジョ会というのを作りました。仕事とは関係なく、アフターファイブに飲み会を開いて、ストレス解消も兼ねてお互いを盛り上げています。9人もニチジョOGがいるので、私はやめられないんですよ。「誰が一番先に辞めるか。」ってみんなで牽制し合って、やめられない状況にさせられています(笑)。
最後に、ニチジョ生へのメッセージをお願いします。
学生生活っていうのは、遊びも含めて、これからの社会人生活にすごく役立つと思います。ちょっと見渡せば、女性が活躍している場所ってたくさんあると思うんです。アルバイトやビジネスインターンで仕事を体験してみてください。それがヒントになって、やりたいことや仕事が見つかってきますよ。
社会に出ると、思ったよりつらいことがたくさんあります。自由な時間がなくなるし、社会的責任も出てくる。営業していると、1分でも遅刻するとキャンセルっていうお客様もいます。でもそういうことは誰かに言われるのではなくて、自分で身をもって経験して感じた時に、初めて気がつくのかもしれないですね。
ニチジョ生のうちは、問題が出ても価値観が似ているので解決しやすいけど、社会に出ると色んな人がいます。自分の常識だと思っていたものがそうではなかったりもします。そんな時は1人で考え込んで悩むのではなくて、できるだけ友達と会って相談しましょう。ニチジョの学生は、役員面接でも物事をはっきり言うので、それが買われるみたいです。私もおかしいと思ったら、なるべくその場で声に出して言うようにしています。逆境も自分で変えてやるんだと思ったら、逆に楽しくなると思いますよ。
私は、自分のことが大好きなんだと思います。ナルシストかな。皆さんも自分らしく、自分が好きって思える人生を、ぜひ送ってください。女性が働きやすい社会は、私たちの働き方にかかっていると思います。私も応援していますので、何か悩みがあったら聞きにきてくださいね。